■議論の整理
明治初期の政治運動の重要な人物として、大隈重信が挙げられる。大隈重信の従来の研究では、民衆に寄り添う民権派としての政治家像が一般的だが、民衆に寄り添うことが必ずしもすべてがよいわけではないことは、現代の民衆の声を見ても、難しい問題であるように思われる。
■問題の発見
現代は、Twitterやその他SNSの隆盛による、民衆の声は見えやすくなっていることが挙げられる。一時期では、ネット環境によって、社会契約説を唱えたルソーの「一般意志」が現出するのではないかと待望されたほどだ※1。しかし、民衆の声は、主観的な域をどうしても超えることができない側面が見え隠れし、いかに公共的な言説を作り出すことが難しいかが、痛感させられている状態ではないだろうか。
■論証
以上のような見取り図の中で、大隈重信をもう一度読み解き、その政治の動きを見返すことは非常に有意義だと思われる。大隈重信は、決して民権派ではなかったし、民権派だと見えることも本人がそのように意図したことではなかったことが研究によって報告されている※2。
■結論
議会政治を開設することに成功した大隈重信は、民衆の意見を聞くことが議席につながることを重要視してもなお、それが即民衆に迎合することとイコールであるなどとは思わなかったし、民衆を以下に導くかという観点を欠かさない正義感溢れる人物であった(政党支持者が他政党を非国民と述べた時に、たしなめる場面などは正しく論争しようとする姿勢や、感情的になることへの戒めが見てとれるだろう)。
■結論の吟味
明治初期は、欽定憲法を制定し、立憲政治および議会政治が花開いた時代である。日本の近代が議会政治とともに展開していく時代は、およそ今よりも民主的ではないように思われるかもしれない。しかし、民主的かどうかは、国民がどれほど公共的な言葉を持っているかどうかが重要であり、時代が進んだから進歩したというわけでは決してなく、その精神は今も昔も変わらない。今こそ、昔の政治から学ぶべきことはあるのではないだろうか。上記のようなことを研究したいと考え、貴学への入学を強く希望する。
※1東浩紀『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』講談社 2011
※2真辺将之「停滞は死滅である――大隈重信の生涯と人間像――」『早稲田大学史記要』早稲田大学大学史資料センター 2018
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