早稲田大学 文学部 AO入試 志望理由書 提出例(成澤勝嗣ゼミ向け)

■議論の整理

近代絵画と近世絵画の本質的な違いは何だろうか。近年逝去された高畑勲監督の『かぐや姫の物語』を読んでいてそのような疑問を抱いた。近代絵画にはない、タッチが筆にはある。それは当然であるが、その根源は何か。

 

■問題発見

近代絵画が明治期になって伝来し、根づいていく様子は日本で顕著にみることができる。日本は長らく行ってきた画法とは異なり、遠近法のリアリズムを導入することになった。遠近法のリアリズムがもたらすものは、絵画だけにとどまらず、言語表現にもおおきく影響していることは言うまでもない。平面的な人間から厚みをもった主体的な人間になることは視線の近代化とともに、内面という個人を育成するのに最適だったはずだ。

 

■論証

では、近世の絵画はどうか。水墨画などを例にとってみてみると、平成28年に鶴亭の初めての回顧展が開催された。彼は禅宗の一派である黄檗僧でもあったが、その流麗な水墨は多くの水墨画にも影響を与えている。彼が描いた墨百合図や墨芙蓉図などを見ると、墨の濃淡がかえって光の痕跡を残しているし、墨のスピード感が演出する生命力や、ベクトルに伸びる躍動感、もしくは停滞感をとどめている※1。

 

■結論

墨を用いて描く絵画には、このように書写した人物の「身体性」が宿っている。その時の筆の動き、ひいては身体の動きを刻み付けられたかのような、写真をみているようだ。写真はもともと、かつてあった光の痕跡を刻み、今に伝えるメディアであると考えるなら、墨は一種の痕跡を残すメディアだといえる。

 

■結論の吟味

私が『かぐや姫の物語』を見た時に、動くたびに揺れたり、太くなったりするキャラクターの輪郭が、背景である遠景の図にしっかりと着地したように見えたのは、アニメーターの身体性がそこに宿っていたからだったのかもしれない。近世期の絵画を通じて、日本に根付く身体性という観点について考察してみたいと考え、貴学への入学を希望する。

 

※1成澤勝嗣「黄檗画僧・鶴亭の軼事」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』62 2017

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