早稲田大学 文学部 AO入試 志望理由書 提出例(池澤一郎ゼミ向け)

■議論の整理

漢詩には豊かな世界が広がっている。王之渙の漢詩「登鸛鵲楼」は次のような詩だ。「白 日 依 山 尽/黄 河 入 海 流/欲 窮 千 里 目/更 上 一 層 樓」これは学校教育の中での随所で取り上げられる漢詩だが、この漢詩には雄大な自然とちっぽけな人間と言う対比の中にいかようにも読み取れる豊饒な感覚が備わっている。

 

■問題発見

太陽が山に沈んでいき、雄大な黄河が流れている、という表現は、漢詩特有の雄大な自然を表すものだ。この宇宙表象には、縦の動きや横の動きが見て取れ、その様は無限につながる空間を表象しているかのようだ。その空間は一方で固定的な空間ではなく、ゆっくりと流れる時間も内包している。そもそも宇宙とは、時間と空間を表す語彙であり、この起句承句は宇宙の雄大さを表彰することに成功している。転句結句では、人間が出てきて、そのはるかな「千里」を見極めようとして、ほんの一段楼を上る人間が対比されている。彼は、何かを見極めようとして眼をするどく光らせている。人間はそのために、ちっぽけな運動しか許されていない。しかしその動きには、確かな一歩にも似た意志を見て取ることもできよう。漢詩には、このようにほんの数行の中で、端的な表現とともに、その文字の表意性をもってして、豊かな世界を現出させることができる。この漢詩が日本ではどのように発展していったか。近代日本にあって、漢詩が愛好されたのはなぜか。

 

■論証

江戸近世期を経て、明治になると、文壇人の間では漢詩が流行している。その流行ぶりは吉田東伍博士の編纂された漢詩集のラインナップを見れば明らかであるが※1、著名な文学者で言えば、正岡子規を上げることができるだろう。正岡子規は和歌・俳句の分野で写生の考えを導入したことで有名であるが、彼がはじめ興味をもったものが漢詩だった※2。

 

■結論

彼の漢詩を見るにつけ、「言ふを休めよ」という文言を見つけることができたり、題画詩においては、絵に描かれているもの、見えているものを、文字に起こすことの意識的な作業を見て取ることが出来、絵画の写生とは異なる、文字の写生とでもいうべき思想が多くの場面で見受けることができる。

 

■結論の吟味

近代文学のカテゴリーの中でこの写生観、リアリズム文学というものを創始した正岡子規の思想の中に、漢詩と言う一つの要素を組み入れて、もう一度文学史を再考するこちょには非常に価値があると思われる。王之渙の雄大な自然を描写するだけで何かを生み出す手法は、正岡子規が写生することで内面を描写することの思想に似ているのは言を俟たない。近代文学を漢詩の観点から再考してみたいと考え、貴学への入学を希望する。

 

※1池澤一郎「漢詩人吉田東伍――『國町詩綜』と『松雲詩草』――」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』(63)2018

※2池澤一郎「正岡子規の漢詩における文藝批評――「憤時張臂笑開眉、哭時嗚咽不能読」――」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』(62)2017

AO入試・小論文に関するご相談・10日間無料添削はこちらから

「AO入試、どうしたらいいか分からない……」「小論文、添削してくれる人がいない……」という方は、こちらからご相談ください。
(毎日学習会の代表林が相談対応させていただきます!)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です