慶應義塾大学SFC 総合政策学部 小論文 1994年 解説

・ 問題文

問題 現在,歴史は大きな変化の時代に入ったと言われています。つぎの3つの文章はいずれも「国家の観念と形態の変化」について書かれたものです。現代の国家は,かつての近代国家とどこに違いがあり,どのような変化にさらされているかを論じ,国家の行く先を考えながら,きみの「国家像」を1000字以内で述べなさい。

・ 問題の読み方

 そもそも国家とはどのような目的をもって、どのように運営されているのかについての理解がないとこの問題はほとんど書けない。もし仮に国家がなかったら、多くの人々は暴行や強姦を行うようになるため、人々は自らの暴力を振るう権利を放棄し、税金を国家に収めることにより、国家が警察や軍隊といった暴力装置を用いて国民の生命・安全・財産を守るというのが国家の役割である。

 こうした原初的な国家の役割の他に、貧民が増えた場合に、資産家≒市民の財産を奪ったり、市民に危害を加える恐れがあるため、社会福祉の必要性が認められるようになったのが現在の国家である。

 だが、こうした国家の役割は、時代とともに肥大化しており、例えば今日では産業政策でさえも国家の役割の範疇に加えられている。こうした現状を整理しつつ、こうした現状にミルトン・フリードマンの「選択の自由」「資本主義と自由」に代表されるような問題意識を持ち、その問題の原因を分析し、解決策or結論を提案・吟味することで自らの国家観を示すことができるといえよう。

・ SFC小論文に求められる解答の指針

 基本的には、国家の肥大化を避けながら、グローバル化した世界にどのような国家が求められているかといえ今日的課題に挑むと良い。現在の問題、あるいは将来起こりうる問題にイシューベースで対応するのがSFCが期待する学びの形であるためだ。

・ 模範解答

議論の整理→

3つの資料では共通して、近代から現代へかけての「国家の形態と観念の変化」について述べられている。資料1は、情報と通貨のグローバル化という観点から述べている。また、資料2は、国家の形成過程に着目して意見を述べている。そして、資料3では、リベラリズムと国民国家の形成の関係性という側面から意見が述べられている。
近代よりも前の社会は、人種や部族、あるいは言語や文化などに基づいた何らかの共同体ごとに営まれていた。そして、近代になるにつれて自由主義や平等主義が掲げられはじめると、近代国家は、その共同体という枠組みを無くし人々を自由に、平等に扱うという取り組みを行ってきた。

……以下、この記述の根拠を紹介する

資料1

 昔「金に祖国なし」と言った。国民国家は,主として,これを正すために発明されたといえる。国家主権と呼ばれるものの中核には,まさにこの通貨に対する支配権があった。しかし通貨は,国民国家の支配から逃れた。それはグローバルな存在となった。もはや通貨は、国民国家が支配できるものではない。国民国家が協調しても支配できるものではない。

 いかなる中央銀行も,もはや通貨の流れを支配できない。せいぜい金利を上下させることによって,通貨の流れに影響を与えようと試みることができるだけである。しかも今や,通貨の流れに関しては、金利と同程度に政治が重要な要素になっている。一国の中央銀行の支配が及ばない通貨の量,すなわちニューヨーク外国為替市場やロンドン銀行間市場などグローバルな市場で毎日取引される通貨は,国の内外の商取引に必要な量をはるかに超えている。その結果,通貨の流れは,それを支配し,制限し,ましてや管理しようとするいかなる試みも受け付けなくなっている。

 情報にかかわる国家の行動は、ボダンの言う国家主権の属性には含まれない。そもそも16世紀後半には,情報はまだそれほどなかった。

 しかし今世紀に入って,新聞,映画,ラジオなどのマスコミが登場したとき,全体主義者,すなわち国家主権の新しい主人たちは。情報の支配こそ鍵であることを見抜いた。

 レーニンにはじまり,ムッソリーニ,スターリン,ヒトラーなどあらゆる全体主義者が。情報の完全な支配をもくろんだ。民主主義国家においても,情報,とりわけテレビの利用が,政治家と政治にとって,必須の技術となった。

 そして今日、情報は、通貨と同様、完全にグローバルになっている。

資料2

 たとえば近年になって再び目を覚ましたソビエト中央アジアの諸国は,ボルシェビキ革命以前には,自覚した言語的国家として存在していたわけではない。ゲルナーによれば,地球上には八千以上の自然な言語があり,そのうちの七百が主要な言語だとされるが,一方で国家の数は二百にも満たないのである。バスク地方の少数民族をかかえるスペインのような二つないしそれ以上の言語集団にまたがっている古くからの民族国家の多くは,目下,これら新しい言語集団の個別のアイデンティティを認めよという圧力にさらされている。そこには,国家が永遠のものでもなければ,時代を越えた人々の愛着心の自然な源泉でもないのだということが示されている。民族の同化や国家の再定義は当然起こり得べきことであり,また,なんら珍しいことではないのである。

資料3

 要するにナショナリズムを核にした国民国家の形成とリベラリズム,そしてデモクラシーという。近代社会の三つの柱の関係は19世紀にはそれほど単純ではないのだ。鍵を握るのはリベラリズムの概念であり,事実19世紀のヨーロッパを考える時,決定的な重要性をもっているのはこのリベラリズム(自由主義)の概念である。

問題の提起→

しかし、枠組みを無くすことを目指した近代国家の取り組みは、人々を枠組みから自由にする方向には進まなかった。むしろ、自由を与えられた諸国民は、同じ民族同士の「統合」という方向に進んでしまった。つまり、国民国家の力を大きくし、国民個人の「多様性」を排除してしまっていた。

……これは基本的にソ連のことを念頭に書いている。課題文中では以下のように触れている。

資料2

 たとえば近年になって再び目を覚ましたソビエト中央アジアの諸国は,ボルシェビキ革命以前には,自覚した言語的国家として存在していたわけではない。ゲルナーによれば,地球上には八千以上の自然な言語があり,そのうちの七百が主要な言語だとされるが,一方で国家の数は二百にも満たないのである。バスク地方の少数民族をかかえるスペインのような二つないしそれ以上の言語集団にまたがっている古くからの民族国家の多くは,目下,これら新しい言語集団の個別のアイデンティティを認めよという圧力にさらされている。そこには,国家が永遠のものでもなければ,時代を越えた人々の愛着心の自然な源泉でもないのだということが示されている。民族の同化や国家の再定義は当然起こり得べきことであり,また,なんら珍しいことではないのである。

論証→

このように、近代国家が人種別に国民を統合していったのは、世界的な工業化によって国家間の経済競争が始まっていたという時代の背景が原因である。しっかりとした国の基盤を作り他国との競争に勝ち抜いていくためには、国家が社会全体を均一化して、その支配権を握るのは必要性の高い過程だったといえる。

……近代国家が国民国家という形で発展した理由を書いている。

解決策or結論→

だがこれからは、こうして国家が力を持ち国民を支配する必要性は無くなる。これからは、グローバル化にともなって、国家間競争よりも個人レベルの競争が重視されていくからである。
グローバル化により、国家や国境という概念が薄くなる。そうすると、企業や個人が活躍するチャンスが増え、目立つようになる。このことを考慮しこれからの国家像を論じるならば、国家は、企業や個人間の公平な競争を助成するための役割を担っていくことが適切である。具体的には、情報や交通など、非関税障壁をできるだけ無くすように努めるべきである。
たとえば、日本では容易に実行できて、アメリカや中国などの諸外国では採用しにくいインフラ整備の一つは、狭い国土面積を活かした最先端のインフラ整備だ。こうした施策は、国土面積が狭い日本では安価に導入可能だが、国土面積が広い国では実現は困難である。こうした政策を実現するために、農村部からの生活拠点移転を促進するための税制改革や、インフラ事業への参入規制緩和なども必要不可欠だろう。

……国民国家という枠組みの無力化の過程を書いている。

解決策or結論の吟味→

また、国家が力を持ち支配する場合は、国家の経営が危うくなった際、国民は国家に動かされているだけなので対処ができず、国全体が破綻してしまう。しかしそこで、個人に力があると、自立して活動をしていくことができる。このような観点からも、国家が国民を支配するのではなく、国民の多様性と個人の力を重視していくべきである。

……利害関係者検討を書いている。

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