慶應義塾大学SFC 総合政策学部 小論文 1999年 解説

・ 問題文

問題 「公」と「私」のあり方について相対立する立場をとっているという 視点から以下の2つの論文 (AおよびB) を読んだうえで, どちらかの立 場に立って、相手方の立場を批判しなさい (1000字以内)。 解答にあたっては, まず自分がどちらの立場でどちらを批判するか, 解 答用紙のAまたはBを○印で囲むことによって明らかにしなさい。
また, 批判を展開するにあたっては, 論文からの直接的な引用ではなく、あくまで自分自身の表現で記すようにしなさい。

・ 問題の読み方

 典型的な「大きな政府」と「小さな政府」の対立についての問題で、ミルトン・フリードマンの著書である「選択の自由」や「資本主義と自由」をどれほど読み込むことができるかが重要になる。その上で、「大きな政府」と「小さな政府」について議論を整理し、自分の立場と逆の議論の問題を発見し、その原因を分析し、解決策or結論として自説を提案し、それをまたもう一方の立場から吟味するという姿勢が求められる。

・ SFC小論文に求められる解答の指針

 国家のあり方や個人の生きる姿勢について問うた問題であっても、政治的な面、経済的な面に着目しながら、自ら社会の諸事象に対して問題意識を持ち、その原因を分析し、解決策or結論を考える姿勢が必要である。

・ 模範解答

議論の整理→

「公」と「私」のあり方について述べられた論文Aと論文Bにおいて、「どうすれば人々が幸せになるのか」という理想は共通している。だが、そのための方法論に関して、両者の間で意見が異なっている。論文Aは、人々の生活を政府が管理・支配すべきではないと述べており、小さな政府を主張している。一方で、論文Bは、私益を重んじる個人主義などを批判し、政府主導の競争や格差が無い社会で人々は幸せになれると主張している。

……引用が禁じられているので、上の記述の根拠となった部分を紹介する。

論文A

 ここでのキーワードは「見せかけ」である。つまり, 所得再分配といえ ば聞こえはいいが、実際には, そのようなレトリックを本気で信じる人な どいないということである。所得再分配は, ときにより, ある人たちをご まかすためのレトリックとして使うことはできる。人によっては, それで いい場合があるからだ。しかし, それをいついかなる場合でも信じるとい う人はいないし, ときにそれでよしとする人も, じつは心底から信じているわけではない。本気で信じるには、所得再分配はあまりにもおかしな話なのだ。

論文B

 公は私。儒者が「公を私するものが国を亡ぼす」と唱えたとき, インチ キな業者に香港旅行を接待してもらったりする大蔵省の某局長のようなケ ースを念頭においていた。いまの日本の「公を私する」風潮はちょっと違う。それは、公益を私益に分解する制度的変化になったのだ。国民の共有 財産を個人に払い下げたり, 公営の事業を私的な営利事業に変えたりする ばかりでなく、同じく人生のもろもろの危険にさらされている国民共有の 保健・保険制度を, 弱者への隠れた再分配作用の要素が多すぎるという理 由で。自立自助と称してなるべく営利事業化し、よって小政府・弱政府の 実現をはかるーというのが今様の「公を私する」発想である。もっと も、そういう動きを推進する人たちは「公と私」と言わずに, 「官と民」と 言う。そして、天皇制の悪しき時代への批判であった格言をひっくり返し て, 「民尊官卑」を基本原理とする。「民尊官卑」は, すなわち「私尊公卑」ということにもなるのだが, 自分たちの主張の土台をなすのが利己心であることを認めようとはしない。

 天皇制時代の「官」と, 民主主義時代の「官」は違うはずだ。公益は打 ち捨てるべき概念ではない。その公益の認識を支える社会の連帯意識もきわめて大切だ。貧富の差が拡大していく社会では、その連帯意識は蒸発 してしまう。市場主義者の唯一の善ー経済効率ーより重要な価値もあ るはずだ。

問題発見→

論文Bの主張のような大きな政府の社会では、かえって事態が悪化してしまう場合がある。また、政府の維持に多額の費用が必要になり、国民の負担が重くなってしまう。政府の意図とは裏腹に、かえって事態が悪化してしまうことを考慮すると、人々の生活の中で政府が力を持つべきではない。

論証→

例えば大きな政府のもとで格差の無い社会をつくろうとすると、結果的に個人間の競争意識も無くなり、怠惰な人間を増やしてしまうことになる。競争意識が無くなり怠惰な人間が増えてしまう原因は、低所得者であっても政府からの見返りが大きいからである。低所得者への見返りが大きいのは、政府による富の分配や生活保護などが受けやすいことに原因がある。つまり、大きな政府の社会によって、精一杯働かなくても政府が世話をしてくれるという意識が芽生え始めてしまう。そして、社会保障費が増加してしまい、税金の増加や政府の財政赤字さえも引き起こす可能性もある。

……典型的ななぜなぜ分析の問題。

解決策or結論→

このように、政府による、格差の無い社会を目指そうという政策が、かえって不本意な結果を招く場合もある。したがって、これからは論文Aの主張のように、小さな政府を目指し、その中で人々の幸せを目指していくべきだ。

解決策or結論の吟味→

大きな政府と比べると、小さな政府では個人の暮らしや企業活動はそれぞれの自己責任のもとで行われる。社会保障がそれほど充実していないので、破綻しないように考えて活動をするようになる。結果的に、全体の成長率や競争率は上がるため、このような観点から見ても小さな政府の方が優れているといえる。
また、小さな政府によって低福祉となるが、支払う税金が大きな政府と比べ安くなるという視点から見ると、小さな政府の方が受け入れやすいものである。
大きな政府では、貧しい人でも暮らしていける仕組みになっている。しかし、世の中が不況になり政府の財政が危うくなってくると、貧しい人から切り捨てられていってしまう。貧しい人が働くように、あるいは働けるような社会を作っていくということを踏まえると、全体の成長と競争が期待できる小さな政府志向であるべきである。

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