- 議論の整理・・・
その国の文化を知る足掛かりとして、その国の祭りを理解することは重要である。祭り、即ちフェスティヴァルは、グローバル化する社会の中で、その国に住まう多くの人に受け入れられることによって存続している。
- 問題発見・・・
では、フェスティヴァルについてグローバル社会という観点からどのように分析することができるだろうか。
- 論証・・・
私はこれらの問題を解決するためには、グローバル社会の中でのフェスティヴァルに対する知識を前提とし、それらが、グローバル社会の中でどの様に受け入れられているのかを考察することが重要であると考える。たとえば、民俗学の専門家である小長谷英代教授は「フェスティヴァル」が民主主義の場の形成という明確な目的の下に,学術的,実験的に提示され,文化政策的な言説を伴って奨励されていくことによって,現代アメリカ社会に新たなコミュニティの形を想起する場として,その意義や機能がより明確に再認識されてきた。しかし,1970年代から1980年代初頭までの「コミュニタス」的調和的コミュニティの理想は,1990年代以降の多文化主義,あるいはグローバル化の議論の中で,すでに説得力を失い,今あらためて新たな形が模索されている。フェスティヴァルにおけるミクロなレヴェルの関係性を,グローバル化と国民国家のより大きな空間的,歴史的枠組みに位置づけてあらためて考えていく必要があると発表している。[1]
- 結論・・・
そこで、民主主義におけるフェスティヴァルについて、グローバル社会を専門的に研究するため、民俗学について専門的知識に富む貴学社会科学部の小長谷英代教授の下で、上述の問題点を整理するべくグローバル社会の中のフェスティヴァルについて研究を深めたいと考えている。
貴学社会科学部の小長谷英代研究会が上述の研究を進めるのに最適な研究環境との確信のもと、貴学社会科学部に入学し小長谷英代研究会に入会することを強く希望する。
[1]小長谷英代著『「フェスティヴァル」におけるアメリカ的「公共文化」の系譜とスミソニアン』(2012-12-20東京大学東洋文化研究所)
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