議論の整理
この文章では、コミュニケーションとは、言葉の問題ではないと指摘している。外国人は、言葉でコミュニケーションをとれたとしても、相手に対する気持ちや敬意を示すのがとても難しい。なぜならそれらは、言葉ではなく振る舞いは雰囲気で示すのが日本文化だからだ。そのため、日本語が上手な外国人であっても、非言語的なコミュニケーションの難しさから、相手に誤解されることが少なくない。
問題発見
どうすれば、非言語的なコミュニケーションの壁を乗り越えられるのか。日本人と外国人がそれぞれ意識するべきことは何なのか。
論証
人間は社会の文化の一員として暮らしている。そのため、言語を使わずに、以心伝心で伝えていることもたくさんある。こうした非言語的なコミュニケーション方法は、小さいころから、手本となるモデルに触れることを通じて、少しずつ会得している。外国人にとって、日本語を学ぶ教科書はたくさんある。しかし、非言語的なコミュニケーションは、生活のなかで自然と身についていくもの。そのため、頭では分かっていても、すぐに発揮することは難しい。
外国人にとって、日本語でコミュニケーションをとることは、とてもハードルが高いことである。しかしながら、それを乗り越える方法がある。それは、相手に対する気持ちや敬意を、できるだけ言語として表現することである。日本人同士の会話よりも、情報量は多くなってしまうだろう。しかし、非言語的なコミュニケーションに慣れている日本人は、何も言わずにいると誤解してしまうので、言語化したほうがいいのだ。
結論
非言語的なコミュニケーションは、一部のコミュニティーの文化であるため、すぐに習得できるわけではない。日本人は文化の違いを理解する、外国人は「ありがとう」「お願いします」など、簡単でいいので言語化に努める。この双方向の努力が必要である。
吟味
私は5年間ドイツに住んでいた。そのためどちらの気持ちもわかる。そこで非言語的な情報をどのように言語化できるのか考えてみたいと思った。(839文字)
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