議論の整理(要約)
吉本隆明は、大学とは教育設備が整った便利な場所であり、そこにいる学生は学問を学んでいればいい、いわば<天国>のようなところだと定義した。そして、困難が多い世の中で、どうしてこのような<天国>を作り出したのかを考察している。<天国>が生まれたのは、大学の使命からではない。大衆が心の中に持っていた願望が、人工的に<天国>を生み出したのだと吉本は考えた。
問題発見
学生運動が活発だった時期に書かれたこの文章を、現在の観点から読むと、共感できる部分もあるが違和感もある。その違和感はどこから来るのだろうか。
論証
大学とは教育設備が整った便利な<天国>であり、親や奨学金の支援を受けながら、大学生活を楽しんでいることは、部分的には事実である。かつては学問を学ぶことに意欲がある学生は多かったが、現在はそうであるとは限らない。そういう意味でも、大学や専門学校に進学せずに、就職する道を選んだ人とくらべると、<天国>にいると言ってもいい。
ただし、吉本の文章は、大学や学問の権威は社会の現実から切り離されており、否定するべき存在だと決めつけたうえで、大学を<天国>と言い表わしている。実際、郷里の人々の支援を受けて大学に進学した人の数は限りがある。また、私たちのなかに、そのような支援を受けて進学している人は基本的にいないだろう。
この文章は、大衆の願望がどのように形づくられるのかを論じるために、大学=<天国>と見なしている。現在の大学生は、学問を学んでも卒業後の就職で評価されるとは限らない。大学に進学せずに就職したほうが、将来のためのいいという見方もある。
そのため大学とは、大衆の願望の場というよりも、個人が人生について考え、葛藤する場だと考えるべきである。
結論
このような実情から、大学=<天国>と見なす考え方は一面的であり、必ずしも共感できるものではない。
吟味
ただし、私個人としては、大衆の願望が大学を<天国>に変えていったという論理は興味深いと思った。大衆論として深く学んでみたいと思った。(849文字)
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