議論の整理・・・貴学の論文(※1)では、「「消尽したもの」が完全に消失せず、何かが残っていることは、ジル・ドゥルーズがベケット論の中で指摘している」としている。これは、ドゥルーズの思想から容易に想起される、分節化されない諸存在への肯定の思考と結びつく。例えばフェリックス・ガタリとの共著「アンチ・オイディプス」においても、分節化されない諸存在への肯定は顕著である。
問題発見・・・しかし、同じように分節化されない諸存在への肯定を示した井筒俊彦の思想とドゥルーズの思想の関係は不明確である。
論証・・・これは井筒俊彦の思想研究にとって大変重要なことだと考える。なぜなら両者のバックグラウンドは全く異なっているからである。
結論・・・そこで私は、井筒俊彦の思想とジル・ドゥルーズの思想の関係について研究したい。
※1平田栄一朗(2018)「「残余」としての演劇:ブレヒト作『ファッツァー』を例に」
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