- 議論の整理・・・
新約聖書のヨハネによる福音書は、「始めに言葉ありき」(In principio erat Verbum)という冒頭部分から始まる。世界のあらゆるものは全て言葉によって成っていると解釈されるが、法律も言葉により構成されており、人間の根幹である言葉なくしては成立しえない。
法律について探究するということは、司法システムの全体像を把握するために、実定法を対象とした法解釈や判例の分析を行うことにとどまらず、法律の世界を言語構造や言語使用が関わる特殊なコンテクストとして分析することも含んでいるはずである。
- 問題発見・・・
では、法的判断において言語表現が争点となった場合、言語学的分析を適用することができるのだろうか。また、言語学的分析をどのように適用することが望ましいのだろうか。そして、法的紛争や法解釈上の論点に対して、言語学はいかなるアプローチすることができるのだろうか。
- 論証・・・
私は、これらの問いに答えるには、実定法の正確かつ緻密な理解を前提として、法言語学的立場から法解釈の妥当性などを論じる必要がと考える。例えば、商標の普通名称化の司法判断における言語学的論点を分析した研究として、2002年のオーストリア最高裁において、商標Walkmanに関して普通名称化を理由に、ソニーは同商標を独占的に使用できないとした裁定を取り上げ、商標裁判において司法判断がなされる際に考慮されるべき言語学的論点を考察する論文がある[1]。
- 結論・・・
そこで、語用論、社会言語学、法と言語を専門に研究し、法言語学の専門家として名高い貴学法学部の首藤佐智子教授に師事し、上述の問題点を整理するべく司法コンテクストにおける言語について研究を深めたいと考えている。
貴学法学部の首藤佐智子研究会が上述の研究を進めるのに最適な研究環境との確信のもと、貴学法学部に入学し首藤佐智子研究会に入会することを強く希望する。
[1] 首藤佐智子「商標の普通名称化問題における言語学的論点:ウォークマン事件を題材に」社会言語科学7巻2号(2005年)14-24頁。
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