- 議論の整理
葬制は家意識を最も色濃く反映した慣習である。死者を悼んで葬るという行為は、その人間が生前に属していた家集団の在り方を浮き彫りにする。つまり、考古学の観点から墓制の変遷を辿っていくことは、各時代の家意識を探ることと同義であり、過去の社会の重要な様相を解明することに他ならない。ところで、日本における墓制が大きく変容したのは江戸時代ごろとされており、火葬から土葬への転換、墓標や埋葬施設の構造の身分による差別化などの大きな様式的変化が見られる。
- 問題発見
この様式変化が当時の家意識の在り方を反映しているのだとすれば、いったいどのようなことが言えるのだろうか。家族と墓の関係を最も明確に表すのは、墓標の変化である。谷川教授の研究によれば、18世紀ごろから各家で墓標を造立するようになり、上位の戒名を持てない家では家族をまとめてまつることが多くなったという。これには単なる経済的理由以上の意味が内包されており、強い家意識の萌芽を見て取ることができると氏は論じている。この論を進めて、家族を拡張した集団である村社会と墓標との関係を考えることはできないだろうか。
- 論証
村という大きな集団での社会的慣習の在り方を捉える際には、大集団を束ねる組織の存在を考慮に入れる必要がある。死者供養におけるそれは、のちに檀家制度へと繋がっていく近世寺院であったと考えることができる。従って、近世村社会における仏教の土着化という観点を持つ必要があろう。また、宗教が集団の在り方を規定する大きな要因だとする視点に立脚するなら、儒教や神道といった他の思想にも視座を向ける必要があると考える。
- 結論
江戸時代の墓制については、日本における墓制の一大転換期であるにも関わらず、これまで十分な関心が払われてこなかったと言ってよい。本研究により、この失われた歴史の一端を照らすことができると期待している。
- 結論の吟味
上記研究を行うにあたって、日本の近世考古学分野で数多くの優れた論文を執筆している谷川教授のもとで学ぶことを強く希望する。
参考文献
谷川章雄 (2001)「近世墓標の普及の様相」『ヒューマンサイエンス』 14(1), 22-31
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