■議論の整理
前近代と近代に向かって、神様を信じていた時代から科学が真実を追い求める時代に変容する。それまで、文学においては人間の精神を超越する形而上学が一つの命題であったが、その命題が、科学によって保障されなくなってしまう。
■問題発見
文学は、人間の精神を描いたが、精神の働きが科学で説明されるのならば、自分たちの存在価値を証明するために、科学的な言説を利用するか、さもなくば文学が独自なオカルティックな宗教になるしかない。しかし、シュールレアリスムにおいては、この二者択一を再考することもできるだろう。それはどのようにしてか。
■論証
科学によって、人間の中に今まで秘匿されていたものに新しい輪郭が与えられてくることは、進化だ。しかし、チェルノブイリの原発事故や、東日本大震災の福島第一原発事故にみられるように、人間が作り出した科学の真実は、私たちの中にある真実ではない。私たちは、心をもっているが、心を科学的に解明しようとすることは心の真実を保証はしない。その内実を語ってきたのが文学だが、その文学が今までの文学らしさを語り続けるだけでは、オカルトになり下がる。
■結論
科学的言説を利用しながら、人間的な真実を述べる方法はないのか。そこに答えを与えてくれるのが美術の領域であり、シュールレアリスムとよばれる超現実的な手法だと私は考えている。ロマン主義時代の作家ドゥフォントネーの『スター』という小説では四つの惑星をめぐるSF小説が展開されるが、当時としては新しい科学的知見を利用しながらも、人間の想像力の邪魔をしない形で、相互が自由に結びつくさまが描かれている。彼の小説においては、「文学は科学と弁証法的な関係を結びはしないが、しかし科学と矛盾もしない」※1という様相を呈している。
■結論の吟味
科学が隆盛を極めて久しいが、科学は私たちの真実をすべては語りはしない。人間の真実を新しい方法で記述し、探索するための領域を私は研究してみたい。近年脳科学が私たちの生を解明し始めているが、脳の機能がすべてのわたしたちを規定するわけではないだろう。科学と上手な関係を取り結びながら想像力を自由に発揮している作品群に触れて、人間の営為を研究したいと考え、貴学への進学を強く希望する。
※1鈴木雅雄「ドゥフォントネー、あるいは〈本当らしくないが科学的なもの〉について」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』 第2分冊 (50)2004 31頁
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