上智大学 文学部 国文学科 公募制推薦入試 2018年 小論文 解答例

上智大学 文学部 国文学学科 公募制推薦入試 2018年 小論文 設問


以下の文章Ⅰ・Ⅱは、柳父章『日本語をどう書くか』からの抜粋である。筆者は、Ⅰの文章で『古事記』の表記法に触れ、それがⅡにおける現代日本語の書き言葉における「日本語感覚」の欠如につながると考えているが、あなたは、現代日本語の書き言葉が「漢字」を用いることをどう評価するか。具体例も挙げながら、自分の意見を600~800字でまとめよ。

議論の整理→書き言葉の批判

筆者は、話し言葉を書き言葉にする過程で、話し言葉の中でこそ生きていた感覚が見落とされ、無視されてしまうということに対して危機感を抱いている。その例として「社会」という書き言葉を使うことで「世間」が無視されている、と挙げている。

問題発見→本当に書き言葉を用いることはマイナスの影響を与えるのだろうか?

では、日本語の書き言葉が「漢字」を用いることは、マイナスの影響しか与えないのだろうか。

論証→外国語の翻訳と書き言葉

個人的にはそうは思わない。なぜならば、筆者が「日本語感覚を失ってしまう」と危惧している書き言葉こそが、日本語を豊かにしていると考えるからだ。
これは特に、日本語にはない概念を受容する際に大きな役割を果たす。たとえば福沢諭吉はlibertyという単語に対して悩みぬいた末に「自由」という訳語を当てた。自主・自尊・任意・寛容といった漢訳はあるものの、原語の意味を完全に表現できてはいないと考え「自由」よいう漢字を当てはめた。それまで日本社会には「自由」という概念がなかったということは、当然話し言葉としても「自由」は存在していなかった。そこに書き言葉としての「自由」を当てはめたことで、新しく「自由」という概念が規定され、可視化されたといえるだろう。

解決策or結論→書き言葉があることで日本語が豊かになっている

このように、日本語において書き言葉を用いることは決してマイナスの影響を与えるのではなく、むしろ日本語自体を豊かにしているといえるのではないだろうか。日常に存在しつつもそれを表現する言葉がないとき、人間はそのことを認識できていない。しかし「自由」のように言語化することで新たに「発見」され、結果として日本語自体を豊かにしていくからである。

解決策or結論の吟味→結論を吟味する

たしかに、筆者の述べるような「言語感覚」を持つことが重要である。言語と現実の間のずれを認識することは、正しい表現をするためにも必須であるといえるだろう。その言語感覚を持ちながら新しい概念や表現を書き言葉にしていくことで、日本語はより豊かな言語になると考える。(769字)

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