設問3
あなた自身の身の回りの出来事や、これまであなたが見聞きした国内外の出来事のなかからひとつを具体例として用いながら、言論の自由についての複数の異なる考え方を提示しなさい。そのうえで、本文全体の議論も参考にしながら、言論の自由にはどのような制限が設けられるべきか、設けられるべきでないかを、1200字程度で論じなさい。
議論の整理→言論の自由に対する複数の考え方
2015年1月にフランスのシャルリ・エブド社はイスラム過激派によって襲撃を受け、風刺画を描いていた数名の画家が殺害された。この事件がきっかけとなって、フランスをはじめ多くの国々ではテロについてはもちろんだが、表現の自由や言論の自由についても活発に議論されるようになった。フランスでは、言論の自由はフランス革命と切り離せないものとなっており、独特の解釈がされている。腐敗した王政と聖職層を倒したことで自由を獲得したという歴史をもつフランスでは、宗教や聖職者に対して批判を行うことはタブーではないとされている。そのため、今回のシャルリ・エブドの行動に対しては、「ムハンマドをそこまで批判しなくてもよかったのではないか」という意見がありつつも、他方では「宗教を批判することは言論の自由としての当然の権利だ」とする意見も存在している。しかしフランスでは、すべての言論が全くの自由を保障されているかというと、そうではない。フランスではホロコーストの否定を行うことは言論の自由が制限されるべき罪とされている。つまりこのような点から、フランスにおける言論の自由は二重の基準をもつといえるだろう。
問題発見→言論の自由にはどのような制限が必要か?
では、このようなフランスの状況も踏まえたうえで、言論の自由にはどのような制限が設けられるべきか、もしくは設けられるべきではないか。
論証→言論の自由と他者への配慮
個人的には、言論の自由は当然保障されるべき権利ではあるが、しかし他人を傷つけることに繋がる場合には、制限される必要があると考える。たしかに、フランスのような国の歴史的な背景やそこから派生する価値観を考えたとき、宗教に対して距離をもつ姿勢が評価されてきたことを忘れてはならない。フランス革命によって確保された人権は普遍的なものであり、極めて重要であることに疑いはない。しかしだからといって、他者が大切にしている価値観を軽く扱ったり、笑い飛ばしていいとは限らない。言葉は、当然受け取る相手が存在している。その相手のことを深く理解しないまま、土足で相手の価値観を攻撃することは、人間として恥ずかしい行為ではないだろうか。フランスも、言論の自由が他者への配慮に場を譲る場面もある。たとえば、前述のようにフランスではホロコーストの否定は決して許されない。ユダヤ人が受けた仕打ちを考えれば当然ではあるが、ホロコーストに関する言論の制限は、フランス国民の多くも正当だと認めている。
解決策or結論→他者を傷つける場合、言論の自由は制限されるべきである
このように、言論の自由は権利として保障されるべきだが、他者を傷つけたり攻撃に繋がってしまう危険がある場合、言論の自由は制限を受けるべきである。
解決策or結論の吟味→結論を吟味する
個人が声高に自分の権利や意見だけを主張する社会は、結果として他者に不寛容な社会となり、争いや衝突が増えてしまう。それを避けるためには、他者への尊敬を持ち、対話をする姿勢の重要さを一人ひとりが自覚することが重要なのではないだろ
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