議論の整理・・・論文(※1)によればレスリー・フィードラーがかつて「アメリカの小説家はおとなの女性を描くことがほとんど不可能になってしまった」と言ったとある。
問題発見・・・では日本の小説家はおとなの女性を描くことができているのだろうか。
論証・・・なぜなら、現代日本社会において、「おとな」の生態は多様性を極めているからである。特に女性は、伝統的な専業主婦像が解体し、男女共同参画社会となったのが現実であり、その生態は多様性を極めている。このような社会における「おとなの女性」を描くことはかなり困難であると推測される。ところが、この点に関する学術的な研究は存在しない。
結論・・・そこで私は、現代日本の小説家がおとなの女性を描くことができているのかについて、学術的に研究したい。
※1後藤和彦、野島秀勝、竹村和子、田辺千景、千石英世「Symposia 第八部門 「< 女> を語る, のディシプリン-アメリカ的文学原論」(日本英文学会第 77 回大会報告) 」
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