早稲田大学 スポーツ科学部 2009年 小論文 過去問解説

■ 設問

これは、5STEPを使って解くべき問題。また、801文字以上1000文字以内のため、入れ子構造を使って、複数の角度から論ずるべき。

議論の整理→ 健康の質を問題にすると個人の価値観が問われる 

問題発見①→  健康であることが人生の目標になっている人もいる

論証①→ 健康と幸せを結びつけて考えると不安が生じる

解決策or結論①→ 健康を追い求めるよりも、幸せの在り方考えることが重要

問題発見②→ 自分の考えた価値観はどこまで尊重されるのか

論証②→ 他人が自分の価値観をくみ取ることは困難である

解決策or結論②→ 価値観の書面化、スピリチュアルケアの必要性

解決策or結論の吟味→ 死生観を話題にすることがタブーである

■ 答案例

議論の整理→ 健康の質を問題にすると個人の価値観が問われる 

健康とはなにか、何をもって健康とするかということを問題にする時、その人の健康に対する価値観が問われる。

問題発見①→  健康であることが人生の目標になっている人もいる

ここで述べられているように、健康産業にのせられて、てっとり早く器具や食品を頼ることで、健康を手に入れようとしている人にとっては、健康であることが人生の目標であるように見える。

論証①→ 健康と幸せを結びつけて考えると不安が生じる

しかし、健康であることが幸せであることの必要十分条件のように考える傾向は、健康を失うことへ強い不安が根底にあり、健康でなくなったら終わりだという不健康な考え方につながる。

解決策or結論①→  健康を追い求めるよりも、幸せの在り方考えることが重要

また、誰しも、心身の病気になる可能性があり、その時々の幸せの在り方は異なって良いし、健康の質は多種多様である。むしろ、健康を追い求めるよりも、自分にとっての幸せや自分が何を大切にしたいかについて考えを深めることの方が重要であると考える。

問題発見②→ 自分の考えた価値観はどこまで尊重されるのか

しかし、ここで問題となるのは、自分の健康あるいは幸せに関する価値観は、どこまで尊重されるかということである。

論証②→ 他人が自分の価値観をくみ取ることは困難である

たとえば、自分は鼻の中にスパゲッティのようなチューブが入ったまま死ぬのは嫌だ、怪しい健康器具は買いたくないと考えていても、認知症を患い意思疎通が困難となり判断能力がないとみなされてしまうような可能性もある。その際に、てっとり早く健康を他人に与えようとする医療従事者に担当されてしまったり、家族が健康至上主義の価値観をもっていたりする場合、自分の価値観は尊重されない可能性がある。仮に、生活の質を尊重する姿勢を身に着けた人にとっても、他人が個人の生活の質を考え、判断することは極めて難しいことだと考えられる。

解決策or結論②→ 価値観の書面化、スピリチュアルケアの必要性

このような場合に備え、自分の健康あるいは死に関する価値観を出来るだけ書面にして保存しておく、あるいは家族や親しい人に伝えておくということが有効であろう。また、慢性疾患に罹った時に、ただ心身の健康を目指して治療のみを行うのではなく、個人の価値観を聞き取ることが重要であると考える。このようなケアは、海外においてはスピリチュアルケアと呼ばれ、重要な治療であるとみなされ実施されている。

解決策or結論の吟味→ 死生観を話題にすることがタブーである

しかし、我が国においては、スピリチュアルケアを実施したり、あるいは健康になること以外を話したりすることは、依然としてタブーとされている傾向がある。生活の質ということが叫ばれ、確かに普及しているが、まだ根底には健康至上主義の価値観が根強く蔓延っていることが窺える。

 

健康とはなにか、何をもって健康とするかということを問題にする時、その人の健康に対する価値観が問われる。ここで述べられているように、健康産業にのせられて、てっとり早く器具や食品を頼ることで、健康を手に入れようとしている人にとっては、健康であることが人生の目標であるように見える。しかし、健康であることが幸せであることの必要十分条件のように考える傾向は、健康を失うことへ強い不安が根底にあり、健康でなくなったら終わりだという不健康な考え方につながる。また、誰しも、心身の病気になる可能性があり、その時々の幸せの在り方は異なって良いし、健康の質は多種多様である。むしろ、健康を追い求めるよりも、自分にとっての幸せや自分が何を大切にしたいかについて考えを深めることの方が重要であると考える。

しかし、ここで問題となるのは、自分の健康あるいは幸せに関する価値観は、どこまで尊重されるかということである。たとえば、自分は鼻の中にスパゲッティのようなチューブが入ったまま死ぬのは嫌だ、怪しい健康器具は買いたくないと考えていても、認知症を患い意思疎通が困難となり判断能力がないとみなされてしまうような可能性もある。その際に、てっとり早く健康を他人に与えようとする医療従事者に担当されてしまったり、家族が健康至上主義の価値観をもっていたりする場合、自分の価値観は尊重されない可能性がある。仮に、生活の質を尊重する姿勢を身に着けた人にとっても、他人が個人の生活の質を考え、判断することは極めて難しいことだと考えられる。このような場合に備え、自分の健康あるいは死に関する価値観を出来るだけ書面にして保存しておく、あるいは家族や親しい人に伝えておくということが有効であろう。また、慢性疾患に罹った時に、ただ心身の健康を目指して治療のみを行うのではなく、個人の価値観を聞き取ることが重要であると考える。このようなケアは、海外においてはスピリチュアルケアと呼ばれ、重要な治療であるとみなされ実施されている。

しかし、我が国においては、スピリチュアルケアを実施したり、あるいは健康になること以外を話したりすることは、依然としてタブーとされている傾向がある。生活の質ということが叫ばれ、確かに普及しているが、まだ根底には健康至上主義の価値観が根強く蔓延っていることが窺える。(969文字)

 

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