名古屋大学 法学部 2012年 小論文 過去問解説

■ 答案構成

問1.

この問題は結論・根拠・具体例でまとめる。

結論→ 肖像権はペットでは認められないこと
根拠→ 肖像権の定義
具体例→ 本人をペットと考えた場合

問2 

5STEPの議論の整理の「共通の前提」と「それぞれの相違点」を使う

寺社・公園の「撮影禁止」の定義
寺社・公園の「撮影禁止」の社会的なメリット
寺社・公園の「撮影禁止」の社会的なデメリット

問3.

これは、5STEPを使って解くべき問題。

議論の整理→ 根拠が不明確な行為の例: エスカレーターの片側を空けること
問題発見→  エスカレーターの片側を空ける行為の問題点
論証→ エスカレーターの片側を空ける行為の問題点の原因
結果→ エスカレーターの片側を空ける行為の是非
結果の吟味→ エスカレーターの片側を空けない場合との比較

 

■ 答案例

問1.

結論

ペットを本人と考えた場合、肖像権はペットでは認められない。

根拠

なぜなら、肖像権の定義は「私に無断で私の写真を撮ったり公表しないでください」というもの、つまり言い換えれば、本人の承諾があれば写真撮影や公表ができるということだからだ。

具体例

たとえば、本人をペットと考えた場合、本人の承諾を得ることは不可能なので、本人の承諾があれば写真撮影や公表ができるという肖像権の定義が成立しない。

 

ペットを本人と考えた場合、肖像権はペットでは認められない。
なぜなら、肖像権の定義は「私に無断で私の写真を撮ったり公表しないでください」というもの、つまり言い換えれば、本人の承諾があれば写真撮影や公表ができるということだからだ。
たとえば、本人をペットと考えた場合、本人の承諾を得ることは不可能なので、本人の承諾があれば写真撮影や公表ができるという肖像権の定義が成立しない。
(185字)

 

問2.

寺社・公園の「撮影禁止」の定義

寺社・公園の「撮影禁止」とは、寺社・公園の持ち主や管理者が、寺社・公園を自由に撮影する行為を制限することである。

寺社・公園の「撮影禁止」の社会的なメリット

寺社・公園の「撮影禁止」の社会的なメリットは、人々が寺社・公園を訪れたときに、撮影によって迷惑をかけられて困ることがないことである。

寺社・公園の「撮影禁止」の社会的なデメリット

寺社・公園の「撮影禁止」の社会的なデメリットは、人々が寺社・公園を自由に撮影できないことで、寺社・公園の情報を自由に使ったり公表したりできなくなり、寺社・公園の情報を社会で共有できないことである。

 

寺社・公園の「撮影禁止」とは、寺社・公園の持ち主や管理者が、寺社・公園を自由に撮影する行為を制限することである。
寺社・公園の「撮影禁止」の社会的なメリットは、人々が寺社・公園を訪れたときに、撮影によって迷惑をかけられて困ることがないことである。
寺社・公園の「撮影禁止」の社会的なデメリットは、人々が寺社・公園を自由に撮影できないことで、寺社・公園の情報を自由に使ったり公表したりできなくなり、寺社・公園の情報を社会で共有できないことである。
(220字)

 

問3.

議論の整理→ 根拠が不明確な行為の例: エスカレーターの片側を空けること

社会で行われているが、根拠が不明確と私が考える行為の例として、左右に大人2人が並んで立てるエスカレーターに乗るとき、エスカレーターの左右どちらか片側を空ける行為を挙げる。

問題発見→  エスカレーターの片側を空ける行為の問題点

ここで、エスカレーターの片側を空ける行為の問題点としては、たとえば他の人がエスカレーターの左側に立っていて、ある人だけが右側に立っている場合、右側に立っている人は、実際に法的決まりがあるかのように左側に立つことが求められることである。

論証→ エスカレーターの片側を空ける行為の問題点の原因

エスカレーターの左側に立つことが求められる理由の1つに、人々のより急ぐ人々への配慮がある。 つまり、急いでいる人々がエスカレーターに立っている人の横を駆け上がったり駆け下りたりして先を急ぐために、急がない人々がエスカレーター内に歩く場所を空けているのである。そして、エスカレーター内に道を空けることは、エスカレーターに乗っている人々が協力しないと成立しない。だから法的根拠は不明確だが仕方なく左側に立っている。しかし、エスカレーターを駆け上がったり駆け下りたりすることは危険行為である。危険行為をしている人々が、自分に道を譲らないからといって、後部から無言の圧力をかけて道を譲らせることがいいとは考えられない。

結果→ エスカレーターの片側を空ける行為の是非

このように、左右に大人2人が並んで立てるエスカレーターに乗るとき、エスカレーターの左右どちらか片側を空ける行為は、危険であるから維持すべきでない。

結果の吟味→ エスカレーターの片側を空けない場合との比較

一方、エスカレーターに大人2人が左右に並んで立って乗った場合、より多くの人を運ぶことができる。またエスカレーター内で駆け上がったり駆け下りたりする人がいないのでより安全である。よって、左右に大人2人が並んで立てるエスカレーターに乗るとき、エスカレーターの左右どちらか片側を空ける行為は、危険であるから維持すべきでないと考える。

 

社会で行われているが、根拠が不明確と私が考える行為の例として、左右に大人2人が並んで立てるエスカレーターに乗るとき、エスカレーターの左右どちらか片側を空ける行為を挙げる。
ここで、エスカレーターの片側を空ける行為の問題点としては、たとえば他の人がエスカレーターの左側に立っていて、ある人だけが右側に立っている場合、右側に立っている人は、実際に法的決まりがあるかのように左側に立つことが求められることである。
エスカレーターの左側に立つことが求められる理由の1つに、人々のより急ぐ人々への配慮がある。 つまり、急いでいる人々がエスカレーターに立っている人の横を駆け上がったり駆け下りたりして先を急ぐために、急がない人々がエスカレーター内に歩く場所を空けているのである。そして、エスカレーター内に道を空けることは、エスカレーターに乗っている人々が協力しないと成立しない。だから法的根拠は不明確だが仕方なく左側に立っている。しかし、エスカレーターを駆け上がったり駆け下りたりすることは危険行為である。危険行為をしている人々が、自分に道を譲らないからといって、後部から無言の圧力をかけて道を譲らせることがいいとは考えられない。
このように、左右に大人2人が並んで立てるエスカレーターに乗るとき、エスカレーターの左右どちらか片側を空ける行為は、危険であるから維持すべきでない。
一方、エスカレーターに大人2人が左右に並んで立って乗った場合、より多くの人を運ぶことができる。またエスカレーター内で駆け上がったり駆け下りたりする人がいないのでより安全である。よって、左右に大人2人が並んで立てるエスカレーターに乗るとき、エスカレーターの左右どちらか片側を空ける行為は維持すべきでないと私は考える。
(732文字)

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