慶應義塾大学 経済学部 1989年度 小論文模範解答
このように、先進国と発展途上国のあいだでの発展段階の違いは、帝国主義の時代を超え、民族自決権が高らかに主張される中で、旧植民地圏が次々と独立を果たしながらも、結局のところ旧宗主国の経済植民地と化したことが挙げられる。
そもそも、先進国にとっては、まず自国が繁栄することに第一の優先順位があったため、こうした経済植民地としての後進国に割り当てられる仕事は、生産性が低く、すぐに経済成長に結びつく種類のものではなかったことは想像に難くない。そうした困難の中においても、資本を蓄積し、ようやく先進国と伍して戦える位置についたにもかかわらず、環境規制を加えられたのでは身動きが取れないという後進国の主張にも傾聴すべき点はある。
ここで、経済発展と環境保護が両立しえない最も大きな要因は、環境破壊を伴う経済活動が外部不経済であることだということに触れておきたい。つまり、環境破壊によって利益を得るものが、なんら損失を被ることなく利益を独占できるために環境破壊は解決しないのである。
だが、環境破壊を伴う経済発展は短期的には利益を産むが、将来的には労働力の減少や製品の信頼性低下に繋がる。環境保護こそが長期的な経済的利益を保証することを、先進国は後進国に市場メカニズムを通じて啓蒙しなければならない。そうした取組としては、排出権取引の積極的な導入(場合によっては金融バブル化)や、先進国側の企業がクリーンに製造された製品を優先的に購買することで先進国から税制優遇が受けられるような制度の確立が必要となる。つまり、環境保護がそのまま経済的利益に直結するようになれば、後進国側も環境保護に本腰を入れ始めるのだ。
そればかりではなく、環境保護は後進国市民の基本的人権の保護という観点からも、極めて重要である。おおよそ環境破壊によって利益を得ている資本家は環境保護にほとんど関心を示さないだろうが、そうした形で誰かの基本的人権を犠牲にする社会は、結局のところ自分自身の基本的人権をも蹂躙することを自覚しなければならない。
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