- 議論の整理
舞踊学研究では、モダン・ダンスは形式化したクラシック・バレエに対する反逆として生まれたものであるとされている。ダンカンは感情を持たないバレエを否定し、肉体による感情表現を目指したが、この考えは現代でも広く受け入れられている。その中でも日本におけるモダン・ダンス受容の歴史は興味深い。帝劇歌劇部が創設され、ローシーらによるバレエ教育が施されたにも関わらず、その結果輩出されたのはモダン・ダンスの先駆者たちであった。
- 問題発見
そのような先駆者たちが活躍した場所である浅草オペラに関しては、その20年にも満たない歴史の中で近代日本の西洋音楽に大きな影響を与えたことから、これまで多くの研究がなされてきた。杉山教授はオペラ教育を受けた帝劇出身者とそれ以外の役者の舞踊を身体技法論的立場から分析している。それでは、帝劇出身者の舞踊に残るバレエの影響を詳細に調査することはできないだろうか。
- 論証
帝劇出身者には浅草オペラで活動した者もいれば、海外に滞在し活動していた者もいる。それぞれの歩みについて文献や資料を基に調べ、比較することで両者のバレエやモダン・ダンスに対する考え方の違いとその理由を浮き彫りにしたい。杉山教授はこれまで近代舞踊研究において低い位置づけにあった小森敏について検討し、彼の舞踊家としての能力の高さを再評価しているが、研究の過程で、このように十分な検討がなされてこなかった個人に焦点を当てることも試みたい。
- 結論
肉体を使った感情表現であるダンスの受容の歴史を学ぶことで、根源的な文化が人々の内面にどのような影響を与えるのかを理解できる。この研究はダンスを行う意義を再発見する一助となると考えている。また、研究にあたっては舞踊や演劇を実際に鑑賞することも重視したい。
- 結論の吟味
上記研究を行うにあたって、日本の舞踊学研究者として身体技法論や歴史学の観点から数々の研究を行っている杉山教授のもとで学ぶことを強く希望する。
参考文献
杉山千鶴(2013).「帝劇歌劇部員・小森敏(1887-1951)の活動」『舞踊学』36, 113
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