- 議論の整理・・・
国々における創作作品はその国々の文化を端的に表現したものである。これは、逆説的に、創作作品はそれが描かれた世界における虚像と言い換えても差し支えない。我が国においても、それは例外ではなく、各時代時代に現れる作品はそれが描かれた時代を映し出す鏡としての役割を担っている。さらに言えば演劇はその舞台装置に人の姿が登場するという点において、人間の営みを中心にしたものが多く描かれている。政治、経済の核である人間を研究することはそれらについて研究することに大きく役立てることが出来る。また、日本の作品形式の多くが古来、大陸から輸入されたものであるという点において、その研究の礎として、中国作品を研究することは重要である
- 問題発見・・・
では、日本文化の研究について中国における演劇からどのように分析することができるだろうか。
- 論証・・・
私はこれらの問題を解決するためには、中国における演劇に対する理解を前提とし、演劇としての装置が、中国においてどのように表れているのかを考察する必要があると考える。
たとえば、近現代中国演劇の専門家である平林宣和教授は
革命現代京劇はそもそも京劇を主要な土台としているのだから、その様式には中国が独自に創り上げた部分ももちろんある。しかし一方でその背後には、二十世紀における全体主義芸術の出現と普及という世界規模の大きな潮流があったことも、確認しておかなければならない。中国の「革命様式」の組成を知るには、こうした近代特有の巨大な流れの中にあって、中国の舞台芸術がそれをどのようにローカライズし、自らのスタイルを創り上げたのかという点について、別途検討を進められなければならないだろう。と発表している。[1]
- 結論・・・
そこで、中国における演劇について、日本との比較を専門的に研究するため、近現代中国演劇について専門的知識に富む貴学政治経済学部の平林宣和教授の下で、上述の問題点を整理するべく舞台装置としての演劇について研究を深めたいと考えている。
貴学政治経済学部の平林宣和研究会が上述の研究を進めるのに最適な研究環境との確信のもと、貴学政治経済学部に入学し平林宣和研究会に入会することを強く希望する。
[1]平林宣和『革命現代京劇と身体技法の混淆 : 建国から文革前夜までの革命様式をめぐる言説と実践』(早稲田大学政治経済学部教養諸学研究会2007-12-27)
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