■議論の整理
大学は研究機関である。教員という専門家のもとで、学生は研究を行い自らの知見を深めていく。その構造は小・中・高等学校とは違うものだ。高等学校までの教育では、分かりやすさが求められる場合が多い。それは、児童・生徒が教わる立場に終始しているからである。教師は教えを与えてくれる人で、教える内容も基本的には学習指導要領に沿ったものだ。しかし、大学はそうではない。指導要領が大学を跨いで存在しているわけではない。
■問題発見
研究者として優れていることと、指導者として優れていることは同一ではないはずである。しかし、私立大学のように経営のためにも学生を集めなくてはいけない場合、教員に対する評価は生命線だ。純粋な研究機関としてあれば上に立つものの指導力が低くとも成果を上げれば問題がないが、大学ともなるとそうはいかないのである。研究機関としての機能と教育機関としての機能を両立させ、双方が相互に良い影響を与えられる大学のあり方とはどういったものなのか。
■論証
全ての学年が受けることになる講義型の授業は、大学を構成するの中心的なものである。多くの大学で、開講されている授業に対して学生が評価をするシステムが採用されている。大学によってはそこでの評価が次年度の開講有無や担当教員の選択に影響するという。しかし、ここで学生がその講義を正しく評価できているのかは疑問である。内容が専門的であった場合、ただ学生の理解度が低かっただけなのにも関わらず「分かりにくい」とされてしまうこともあると、国立教育政策研究所の研究で判明している。
■結論
どのような授業評価の方法を用いることが、研究機関であり教育機関でもある大学の発展に寄与することができるのかを研究したい。
■結論の吟味
以上の理由から、貴学教育学部教育学科教育学専修に入学し、三尾忠男教授の研究会で学ぶことを強く希望する。
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