■議論の整理
2018年、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として、長崎県・熊本県の集落(跡を含む)や教会が世界遺産に登録された。潜伏キリシタンの歴史が世界的に注目された出来事だった。政府のキリスト教に対する方針の変更に振り回されながらも、自らの信仰を守り抜いた潜伏キリシタンの生き方からは、信仰が人に与える力を感じとらざるを得ない。
■問題発見
歴史上、様々な宗教がその宗教の解釈について争いを繰り返してきた。どのように教典を解釈するかなどは、宗教の中で力のある者が信者たちに影響を与える。カトリックで言うところの司祭のように、その宗教を指導する立場の者の存在は大きかった。どのような指導者が身近にいるかによって、信仰のありかたや深さは異なって当然である。
■論証
潜伏キリシタンの中には、自分たちで信仰を受け継いでいったがために、キリスト教に対する理解が独特のものになった人たちもいた。宣教師がいない場所で洗礼を授けるために代表者を決め、独自の方法で儀式を継承した。他にも、信仰が露見しないように隠すことを重視し、在来信仰にあった山岳信仰や島信仰を組み合わせたり、身近な道具を信仰のよりどころとしたりした。このような人たちは、信教の自由が認められた後にも自分たちの「キリスト教」を信仰し、カトリックに改宗することはなかった。
■結論
周囲から隔絶された中でどのように信仰が伝承され、それが当たり前となっていた人たちは、その後「正当」と言われるものと出会った時にどのように感じたのだろうか。その出会いが信仰に対して与えた影響を知りたい。厳しい状況下でも信仰を持ち続けた潜伏キリシタンを知ることは、信仰心そのものについても考えることにつながるはずである。
■結論の吟味
以上の研究を行うため、貴学教育学部社会科地理歴史専修に入学し、大橋幸泰教授の研究会で学ぶことを強く希望する。
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