■議論の整理
ヤフーやグーグルがその検索エンジンに画像検索機能を設けるようになったのはいつだったか。Twitterと同時にinstagramが賑わいを見せ、みながインスタ映えを目指すようになったのはいつだったか。Pixivが流行し、自分の好きな画像をさがせるようになったのはいつだったか。
■問題発見
これらの問はすべて文章と視覚の関係を考えるうえで重要な契機であるように思える。人間は文章を好んで書き、読むが、それでは飽き足らず、視覚情報を好んで取り入れる。視覚情報は網膜で反転し、それぞれの要素に分解されて電気信号化されてニューロンを伝い、脳内で知覚される。この経路をたどっている間に、一つの像を結ぶが、その像それぞれが小さい自己であり、それらをザッピングして多くの視覚情報をスイッチしながら、ひとりの人間が統合して知覚している自己がまた立ち現れる。知覚する自己も知覚される自己も同時に生起し、この間の意識・もの・知覚を研究するのが近年のニューロ・サイエンスとニューロ・フィロソフィーである※1。
■論証
視覚情報と脳の関係性を上記のように考えることができたとして、人間の近くの方法にはどのようなものがあるだろうか。アレゴリーやアナロジー、もしくはアイロニーなどの近くも、何かと何かの類似性を想起する自己を同時に生成したり、何かと何かの異同関係を統合する自己を生成している点で、ものを知覚する自己と知覚される自己がその都度生起するという上記の事態の延長線上に存在しているといえる。
■結論
このような、知覚と自己の関係を踏まえた時、どのようなことが言えるか。哲学的、思想的言辞でこの様子を彩るとすれば、主体の折り重なり、主体の主体化、自己、などを後期に転換したフーコーの思想に近似してくる部分もあるだろうが、一方で現代の技術の関連で、科学技術と自己というような文脈を呼び込むことも可能だろう。
■結論の吟味
VRやAIの発達によって、人間の欲望はどこに向かうのかもわからず、論者によっては、他者を必要としない閉鎖されたピュグマリオンコンプレックスの楽園になるとすら考えるものもある。これはこれで人間の欲望史を概観した場合、的を射ているような気もするが、一方でニューロ・フィロソフィーにおいて、そもそも他者は必要だったかという問いにも置き換えることが可能だろう。情報技術のめまぐるしい発展と、脳科学の成果を踏まえて、新しい他者論を提案してみたいと考え、貴学への入学を希望する。
※1北澤裕「世界の自己化は自己の世界化――視的一元性――」『早稲田大学大学院教育学研究科紀要』27 2016
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