早稲田大学 教育学部 外国学生入試 志望理由書 提出例(後藤雄介ゼミ向け)

■議論の整理

社会は記憶を忘却することで成り立っていると感じるときがある。私たちは今韓国の文化を受容している。韓国の音楽を聴き、韓国の映画を見ている。先日アカデミー賞で韓国の映画が作品賞を受賞したことが話題になったが、私たちが過去に韓国とどのような関係にあったかをどれだけの人が覚えているだろうか。

 

■問題発見

もちろん記憶は風化する。記憶はその体験をした世代が語り継いでいかなければ風化するのは当たり前だし、その体験を直接的に見知っていない世代は感覚でしかわからないからその体験が風化するのは自明のことだ。しかし、その関係性はいまだに根強くそこかしこに亡霊が取り巻いていることもいくつもある。私たちが共生を目指すのであれば、その過去を忘却するのではなく、覚えておくことは必須だし、そうでありたいと強く感じる。

 

■論証

南アメリカの先住民の記憶をめぐる小説を描いたものとして、カルロス・アルコス=カブレラの『アンドレス・チリキンガの記憶』(2013)という小説がある。この小説は、先住民擁護復権文学の代表作とされるホルヘ・イカサの『ワシブンゴ』(1934)をメタ的に語り継ごうとする企図を持った作品だ。『アンドレス・チリキンガの記憶』では『ワシブンゴ』と同姓同名の主人公が表れ、昔の作品を読むことで得られる古典の再継承、セミナーで体感する先住民族の扱いの差異など、多くの先住民族と社会に付随する問題を救い上げようとしている意欲作だ※1。

 

■結論

記憶を継承し、時代の差異を眺め、地域ごとに異なる先住民族の扱いを見定めようとするこの小説は、主観的なメディアであるからこそできる文学の強みがある。事実としての情報を伝えようとするメディアであるマスメディアとは異なり、文学は再読され続ける限り、風化しない。むしろ新たな創造と隣り合わせにある、読書=物語行為を行い続ける。昔のことを知るには、文学が読まれることが大切だろう。

 

■結論の吟味

一方で、文学が持つ危険な罠も同時に私たちは知っておかなければならない。文学は、あくまでもフィクションであり、そこから何を受け取り何を読み取るのかは自由だが、あくまでもそれは物語であると感じる部分も必要であると同時に、物語だからこそできることもある。物語は心に深く入り込む。そうやって古今東西語り継がれてきた物語があり、その物語を読む共同体がある。そのことを念頭に置きながら、物語の力と昔に生きた人々の記憶の継承をつなげる活動をしてみたいと考え、貴学への入学を希望する。

 

※1後藤雄介「よみがえるアンドレス・チリキンガ――アンデス地域における文学メディアによる社会的記憶の回復と再構築」『学術研究 人文科学・社会科学編』早稲田大学教育・総合科学学術院教育会67 2019

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