早稲田大学 教育学部 外国学生入試 志望理由書 提出例(渡邊芳敬ゼミ向け)

■議論の整理

かつてロラン・バルトは『表徴の帝国』という日本論の中で、東京は空虚の中心だと述べた。これは一種のオリエンタリズムともとられ、意味があり充足しているのは西洋で、意味がなく、空虚であるのが日本だという言辞に受け取られた。

 

■問題発見

しかし、意味があることがかならずしも良いことではないのが、表象文化論的な文脈においてはしばしば指摘されている。意味があることで権威が生まれ、ピラミッドがうまれ、物語が発生する。一方で無意味化された場所では権力は生まれず、そこにトポロジカルな磁場は生まれない。そこは徹底的に無意味であり、非意味である。

 

■論証

日本は形式的な文化が多く存在する。無意味な包装紙で商品を包み、禅や能は、形式美を競いあっている。そこに物語の展開としての独創性は求められず、形式の妙が試されている。俳句は五七五の形式の中に言葉を収めることが文化の中心であり、日本人の心性を象徴していた天皇はいまや象徴天皇として空虚の中心として取り上げられている。皇居は東京の空虚の中心である。

 

■結論

これらの議論は、西洋が意味があり、東洋が意味がないとするオリエンタリズムの延長に見えつつも、実は新しい無意味を提供している。意味があることを念頭に置く無意味ではなく、ただただ意味がないことしかないのだ。この構造を突き詰めていくとどのようなことが言えるか。

 

■結論の吟味

アンディウォーホルは、キャンベルスープ缶を列挙して、芸術作品にしたてあげた。そのシミュラクルを消費社会のイコンの一つと言ってしまえばそれまでだが、意味がないそれらの記号の中で、人間が生きられるということをもう一度考えてみるべきかもしれない。意味を失って、小さな物語の中で人は生きているのだと言われて久しいが、小さな物語の中で生きることが上手な国が日本なのかもしれないからだ。そこには意味がないことに耐える存在の軽さがあるかもしれず、その思想の変遷を日本と言う非トポスをめぐって考察してみたい。以上のような研究をしてみたいと考え、貴学への入学を希望する。

 

※1渡邉芳敬「ロラン・バルト『記号の帝国』再考」『日本フランス語フランス文学会中部支部研究報告集』15(0) 1991

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