早稲田大学 文学部 AO入試 志望理由書 提出例(宗像和重ゼミ向け)

■議論の整理

文学を読むとはどういうことか。私たちは物語を読み、登場人物に共感し、感動したり、考えさせられたりする。しかし翻って、私たちは何を読んでいるかと考えてみると、事態は難しくなる。小説内のものだけではなく、実は読んでいるのは、登場人物に投影された自己であり、その自己を取り巻いている環境である。

 

■問題発見

解釈は何に左右されるのか。それは同時代の価値観、言説環境である。甲子園といえば、野球を思い出すように、小説内で描かれる記号に対して、私たちは文化的コードを有していて、そのイメージを借りる形で文学を読み、小説を読むことができる。これは全ての読者が彼らなりのコードや育ってきた環境の偏差の中で行っている読書行為である。ではややアカデミックになったとしても、一種の読書行為=解釈に陥らない、汎用性のある普遍的な文学研究とは可能なのか。

 

■論証

1980年代以降、文学研究ではテクスト研究というものが流行した。前田愛の『都市空間の文学』※1をはじめとして、場所やモチーフを作家個人の思想から切り離し、さまざまな外的事象との「織物」として読み替えて行こうとするのがテクスト論である。テクストは「作者は死んだ」(ロラン・バルト)※2後の読者が自由に解釈できる万能な素材として定着した。作家論から切り離されたテクスト論は新しい作品論を展開し、小説が持つポテンシャルを引き上げることに成功したと思われる。

 

■結論

では、このような解釈はどれが正解なのか。文学研究も一つの解釈だとするなら、文学を教育することは可能か。この点についてはいまだ議論の余地があるし、真摯に向き合ってみるべき問いだと私は考えている。無数の開かれた読みを行う自由さと、逆に文学研究を行う意義と、文学教育を選定する基準。この相互行為的な三すくみの状況を打開するような文学研究を行ってみたい。

 

■結論の吟味

私たちが古典を読むときには、実は注釈を頼りに、一緒に読んでいることが多い。私たちは現代の身の回りの理解可能な文化的コードしか読み込むことはできない※3。この注釈をまったき他者にあてた手紙のようにして文学研究を行うことができないだろうか。上記のことを考察すべく、貴学への入学を強く希望する。

 

※1前田愛『都市空間の中の文学』1982 筑摩書房

※2ロラン・バルト「作者の死」『物語の構造分析』1979 みすず書房

※3宗像和重「注釈(フォーラム方法論の現在Ⅱ)」『日本近代文学』(90)日本近代文学会 2014

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