早稲田大学 文学部 AO入試 志望理由書 提出例(内藤正子ゼミ向け)

■議論の整理

意識はどのように意識されるか。意識は言語に先立つわけではなく、言語が意識に先立つと述べたのはアリストテレスであったが、我々が思考できるのは言語があるからであり、言語がない状態の純粋な思考と言うのは想像しにくい。ということは、私たちは言語によって思考させられていると考えることが可能になる。

 

■問題発見

日本で独自の哲学を展開した西田幾多郎は次のように述べている。「我々が物を考えるとき、これを映す如き場所というものがなければならぬ。先ず意識の野というのをそれと考えることができる」※1。この意識を移すための鏡を西田は「先ず意識の野」と呼んでいるが、それは今の文脈に即して考えれば、一つの思考の型=言語だと考えることはあながち間違ってはいないだろう。では言語によってどのような思考を私たちは可能にしているのか。

 

■論証

具体的な例を挙げて述べると、中国語は「A是B」という英語のbe動詞に近い構造を持つ言語である。となると、AとBの関係性を等価に考える理性的な側面を持ち、さらには、AとBの代置関係を比喩的にとらえることに優れた言語形式だということができる※2。これはあくまでも一例だが、日本語は、AとBの間に等値関係を指し示す語彙はなく、多くは文末に関係性を示す語彙を置くことによって、同じなのか、違うのかが最後まで宙づりにされる思考形式だということも可能だろう。

 

■結論

このように、言語の形式が言語を思考する主体のありようを決定していると考えることはあながち突拍子もないことでもなく、古くから議論されてきたことである。とすれば、中国より伝来してきた、漢字を用いつつ、大和言葉を発展してきた日本語とは、どのような思考形式の歴史をたどってきたものなのか。

 

■結論の吟味

言語は一様ではなく、様々に変化を宿している体系だ。言語は差異の体系だと考えるソシュール言語学のような成果ももちろん視野に入れながら、言語が思考する様を主体の変容とともに、歴史的に考察してみたいと考え、貴学への入学を希望する。

 

※1西田幾多郎『場所』(『西田幾多郎哲学論集Ⅰ』岩波書店 1987)

※2内藤正子「字本位理論における二つの公式」『中国文学研究』早稲田大学中国文学会 2011

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