早稲田大学 文学部 AO入試 志望理由書 提出例(藤井仁子ゼミ向け)

■議論の整理

映画を見ることは、映画の細部を見ることだと考える論者が多い※1。それが映画愛好家(シネフィル)の作法だった。しかし、現代では映像技術の進歩によって、映像はいくらでも加工編集を行うことができる。2009年の『アバター』では平面を飛び越えた三次元まで手に入れてしまった。

 

■問題発見

蓮実重彦は、長らく日本の映画愛好家を引っ張ってきた。そこでは小津安二郎のキャメラがとらえた木々のざわめきを見ることが映画を見るよい作法として提示された※2。しかし、現代のCG技術が駆使された映像では、キャメラがとらえた細部※3という感覚を持つことはできない。新しい技術が駆使された映画を私たちはどのように受容するべきなのだろうか。

 

■論証

映画史をたどってみてみると、映画の創始者リュミエール兄弟が制作した、迫りくる汽車の映像を見た観客が、その画面上の汽車をよけようとしたという逸話がある。ここから考えられることは、映画は細部を見ることであると同時に、身体で感じるものだという感覚が映画の初期の段階からあったということだ。

 

■結論

現代の映画は、身体で感じるものになりつつあり、それはある意味で初期映画への原点回帰ということもできるかもしれない。映画愛好家が愛した細部の鑑賞ではなく、初期映画のような体験する映画へ私たちは連れ戻されている。

 

■結論の吟味

なぜシネフィルたちは映画を身体で感じるものではなく、細部を鑑賞するものだと論じたのか。そこには戦争プロパガンダ映画への反省という要素があったのだろう。映画は人の心を簡単に左右してしまう。映画で英雄になったものに共感し、映画で敵だったものへの嫌悪をかきたてることも容易だ。その歴史を踏まえて新しい映画需要の在り方を検討したい。現代では多くのビデオ・オン・デマンド(VOD))環境が整っており、映画館の在り方も変容してくる。そのような映画を取り巻く環境も含めて、貴学の映像コースで学び、考察していきたいと考え、入学を強く希望する。

 

※1藤井仁子「シネフィリアとモダニズム――ある映画の愛し方にかんする歴史的かつ理論的な省察」『早稲田大学大学院文学研究科紀要. 第3分冊』:2015

※2蓮実重彦『監督小津安二郎 増補決定版』2003 筑摩書房

※3三浦哲也『映画とは何か フランス映画思想史』2014 筑摩書房

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