- 議論の整理
12世紀にカルメル山に誕生した修道院を発祥とするカルメル会は、現在でも数多くの修道士・修道女が属する組織である。カルメル会はその生活の全てが祈りであると言ってもよいほど、生活の中に祈りを浸透させており、そのような生活の中で神を常に身近に感じることは彼らの霊性の根源となっている。現代社会の俗世に生きる我々がそのような霊性を生きることは不可能であるが、彼らの内的世界をわずかばかりでも言語や映像によって共有することが出来れば、キリスト者として生きるということが理解できるかもしれない。
- 問題発見
このような霊性を言語化したものが文学に存在すると私は考える。その代表作家としてあげられるのが、カトリック者でもあったフランスの小説家であるジョルジュ・ベルナノスである。『悪魔の陽の下に』や『カルメル修道女の対話』などキリスト者を描いた作品を執筆し、「聖性の作家」と呼ばれる彼であるが、彼の作品には激動の近世フランス社会の中で生活するキリスト者が頻繁に登場する。しかしその登場人物はバルザック的な血肉の通った人間として物語内において自由に活動しており、現実に生きる人間を反映する。ただの虚構ではないジョルジュの作品を研究することによって、霊性について理解を深めることはできないだろうか。
- 論証
長島は『カルメル会修道女の対話』を題材に、登場人物自身が理解しうる知識とそれに基づいた行動といった限定的な要素と、霊性による行動や聖書の類型としての行いなどの神秘的な要素の2層に分けて分析を行っている。その結果、この作品においては死を前に限定的なレベルから神秘的レベルへの見事な移行がなされているという解釈が可能となった。このような限定から神秘への移行を霊性としてみることができるとし、彼の他の作品を分析したい。
- 結論
上記研究を行うにあたって、これまで貴学において霊性、特にカルメル会の霊性について研究を行ってきた片山教授のもとで学ぶことを強く希望する。
参考文献
長島律子 (1984). 「『カルメル会修道女の対話』に見る「歴史への参与」:ベルナノスにおける聖性の冒険』」『仏文研究』 14, 106-128
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