設問3
次の文章は、三浦勝也(2014)『近代日本語と文語文 今なお息づく美しいことば』の第二章「近代文語文とは何か」の一節である。傍線部に特に注意しつつ、これを読み、「擬古文」「雅文」と言われた和文体よりも、そうした「不合理な一面」をもち、「不自然」、「珍妙な感じ」すら与えることがある漢文訓読体の方が、「明治以降の文語文に大きな影響を及ぼした」ことについて、現在の日本語の文体との比較も交えて、各自の見解を600~800字でまとめよ。
議論の整理→和文体と漢文訓読体の違い
本文では、和文体よりも漢文訓読体の方が「明治以降の文語文に大きな影響を及ぼした」と述べられている。訓点を施すか、書き下し文に改めて読むことを前提に漢文で文章をつづることが、近代の文語文の形成に大きな影響を与えたとされている。
問題発見→なぜ筆者は後者を評価しているのか?
それでは一体なぜ、筆者は「不自然」で「珍妙」な漢文訓読体の方を評価しているのだろうか。
論証→漢文訓読体の不自然さの意味するもの
漢文訓読体は、本来中国語で使われていた漢字のうち、日本語に直せないものが含まれているため、書き下し文に直すと不自然に感じる。しかしその不自然さこそが、言語を豊かにしたといえるのではないだろうか。
漢字は音を表現するだけではなく、漢字そのものが意味を有している。そのため、漢字を理解することができる者にとって、文章を目で見ることでも、ある程度の雰囲気や様子を想像することが可能となる。たとえば、福沢諭吉はeconomyの訳語として「経世済民」という表現を当てはめた。略して「経済」ということが多いこの単語は、もともとの漢字を読んでみると、「世の中を治め、人々の苦しみを救うこと」という意味であることがわかる。このように、日本に西洋の文化が流入してきた際にも漢文訓読体を念頭に置いた訳語をつけることで、日本語特有の美しさや奥深さを表現することが可能となった。
解決策or結論→漢文訓読体によって表現に深みが付与される
このように漢文訓読体を用いることで、表現そのものに意味や背景を与えることができるのであり、これは和文体では難しいといるのではないだろうか。
解決策or結論の吟味→結論を吟味する
現在、インターネットの普及によって世界中がつながり海外が身近な存在になったことで、日本語の文体は変化している。英語の翻訳だけではなく、英語が短縮された形で直接若者の日本語に定着している(ファボる、ググるなど)。
これは長いこと西洋の表現を漢文訓読体として受け入れてきた日本にとって大きな変化であり、個人的には今の状況によって、漢文訓読体により培われてきた「不自然さ」がなくなってしまうのではないかと危惧している。(799字)
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