設問
この文章がテーマとしている問題について、あなたはどう考えるか述べなさい。(600~800字)
議論の整理→課題文の確認
この文章では人間が「同一」と捉えるものは「不変不動」ではなく、たえず移ろい変化するものを同一と捉えることができる、と述べている。筆者の主張は理解できる。両親にとって子どもは何歳になろうが子どもであるし、逆もしかりである。外見が大きく変わろうと、内面に変化があろうと、親子という関係は基本的には変わらないといえる。
問題発見→「同一」を理解していても受け入れることができない場合は?
しかしすべての場合がそうだと断言できるだろうか。実際に、「同一」だと頭では理解していてもそのようにとらえることが難しい場合もある。
論証→認知症を例に
たとえば、日本では高齢化が進み2011年以降は人口が減少している。日本人の平均寿命は世界でもトップクラスの長さを誇っている一方で、高齢者の介護や医療保険といった問題も生まれている。自分の両親がアルツハイマー型認知症になった場合、彼らの記憶は刻一刻と変わっていく。次第に自分の友人や家族のことも記憶から忘れていく両親は、果たして自分の両親だといえるだろうか。医学的には当然親子関係は継続するが、他方で共通の記憶を失ってしまった両親を前に、果たして子どもは「親」という認識を持つことはできるのか。認知症の親を抱える子どもが「親が子ども帰りをした」と述べるように、年齢を重ねた結果、記憶や行動、習慣が変化することも往々にしておきる。
解決策or結論→「同一」の人間であるためには記憶が必要
思うに、相手を「同一人物」だと認識するためには共通の記憶があることが重要ではないだろうか。たとえ姿かたちが変わったとしても、共通の記憶や感情があることで相手を「同一」の存在として認識できる。
解決策or結論の吟味→結論を吟味する
このように、人間は同一のものと認識するためには、どこかに継続性を感じることが必要であり、それは軸として変化してはならない。記憶以外にも「脳」や「魂」という考えもあるだろうが、なにかしら核となるものが人間の認識には必要ではないかと言える。(744字)
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