議論の整理(要約)
この文章では、学生から「生きがい」について問いかけられたとき、「恵」「感謝」と答えた経緯を紹介している。事件と事件のあいだには空白があるように見えるが、ひとつの本のように綴じられている。その隙間を埋めるのは「神の愛」であるという、ダンテの『神曲』の一節を筆者は紹介している。そのうえで、命が与えられたことに感謝すること、そして、感謝の心が循環する社会をつくることの大切さを伝えている。
問題発見
感謝の心が循環する社会とはどのようなものなのだろうか。そのような社会を実現させるために、私たちができることは何であろうか。
論証
私たちが日々の生活を送るなかで、感謝の気持ちを伝える機会は意外にも少ない。なぜなら、身近にあるサービスの大部分はビジネスであり、私たちはその行為の対価として、お金を支払っているからだ。そのため、何かをしてもらっても、お会計を済ませた時点で、「ありがとう」と言われる立場になる。お店の人は、お客さんに感謝の気持ちを伝えるが、それは接客の範囲内であり、心の底からの感謝とは異なるものである。
今の日本では、お金を受け取るほうが感謝を伝える側になる。そこで私は、お金の支払いは関係なく、してもらったことに対して、「ありがとう」と言うことが大切だと考える。ありがとうの語源は「有り難し」。滅多にない、珍しいという意味である。何かをしてもらうことは、そこに支払う行為が介在しているとしても、当たり前のことではなく特別な行為なのである。
結論
そこで私は、お客さんであっても、サービスに対して感謝の気持ちを伝えることを定着させることが、感謝の心が循環する社会を実現するために不可欠であると考えた。
吟味
日本は研修により、サービスを提供する側が、感謝の気持ちを伝えることが定着した。同様に、サービスを受けることの意味を、感謝を論点に発信することで、「ありがとう」の循環が生まれるのではないだろうか。(806文字)
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