議論の整理(要約)
日本における識字運動の障壁となってきたのは漢字の存在である。漢字がなければ日本語の読み書きはかなり簡単になる。また、固有名詞の読み方が多様であることも、漢字の学習を困難にしている要因だ。日本人の大部分は、小さいころから膨大な量の漢字トレーニングをしているにもかかわらず、大人になって漢字を間違えることも多い。それを外国人に求めることは、そもそも無理があるというのが筆者の考えである。
問題発見
日本で、識字運動をとりまく課題を乗り越えるためには、日本人がひらがなによるコミュニケーションに寛容になることが必要なのではないだろうか。
論証
現在の日本では、子どもが見る可能性がある看板や張り紙には、ひらがながふられている。本来、教育を受けた大人であれば、漢字のみで読めるという先入観が私たちにはある。そのため、ひらがながふられた日本語は、「未発達」「学習前」の子どもにレベルを合わせたものと思うのが自然な流れである。
しかし、私は家族旅行でハワイに行ったとき、英語のみの看板や張り紙は、完全に理解することができなかった。もっと簡単な英語であれば理解できると思ったが、馴染みのない言い回しも多いように感じた。英語圏の人たちからすると、私は日本から来た、英語が「未発達」の存在となる。
日本には、中国人、韓国人、ベトナム人など、さまざまな国の人が暮らしている。地域によっては、インド人やブラジル人が大部分ということもあるため、すべての情報を多言語化することは不可能に近い。
結論
そこで、ひらがなとカタカナによる日本語さえ理解できれば、内容を理解できる情報提供をすることで、日本における文化の多様化がさらに進められる。
吟味
日本人は、ひらがなとカタカナだけの日本語は「未発達」とネガティブに捉える傾向がある。また、日本文化の衰退と嫌がる人も多い。そのため、これからの日本を担う子ども世代から、意識を変える取り組みを始めるのがいいと思う。(815文字)
コメントを残す