議論の整理(要約)
ここで提示された文章によると、ただ本を読みあさり、知識をたくわえていくだけでは、教養を身につけたと言うことはできない。筆者によると、もともとの教養の意味はふたつある。ひとつは、人を人たらしめる人間性を鍛え上げていく営みである「陶治」。もうひとつが、「陶治」の過程で身につけていく「教養」である。何らかの技能を身につけるために修行を積むことよりも、陶治の過程で教養を備えていくことのほうが重要だと、筆者は考えている。教養に含まれるのは哲学を中心とする人文系の学問であり、科学・技術はそこに含まれていなかった。
問題発見
教養の軸となるのが哲学であるのなら、大学で文学や芸術を学ぶ意義はどこにあるのだろうか。
論証
それが実生活から離れており、純粋な学問であることが、教養の軸として哲学が重視される理由として挙げられている。実生活に密接に結びついている学問は、人間性を高めていく「陶治」の過程でふさわしいものではないと考えられてきた。つまり、これまでの教養の概念によると、人間のリアルな生活や心理、姿や形を追求する文学や芸術は、教養とされる学問のなかでは上位に位置するものではない。
哲学は人間性を実生活から離れて純粋に追求するものである。それなら、文学や芸術は、実生活の描写のなかにある人間の本質を見抜く学問ということになる。哲学と文学・芸術は、本質を追求する方法が異なるだけで、そこから学べることは共通している。文学や芸術は、私たちの日々の生活のなかで、人間の本質を追求するための方法を教えてくれるのだ。
結論
大学で文学や芸術を学ぶ意義は、実生活のなかで人間の本質を見つめ、人間性を「陶治」する方法を学ぶことにある。哲学は抽象的な思考から、文学や芸術は具体的な描写から、人間の本質を見つめる。方法が異なるものの目的は共通していると考えた。
吟味
どのような形で教養を積み、人間性を高めていけるのが、自分の日々の暮らしのなかで考えていくことが大切であると思った。(831文字)
コメントを残す