上智大学 文学部 国文学科 海外就学経験者入試 2017年 小論文 解答例

問1

■設問

傍線部1について、筆者は、なぜ「大乗仏教において」「十分それが果たせる」と考えるのか。その理由や根拠を、説明せよ。

■答案

近年、禅が欧米の哲学者から尊敬を集めている。高名な哲学者であるハイデッカーも禅を高く評価しているほどである。したがって、大乗仏教の禅は東洋から西洋へと送りだすのに十分な価値があるからである。(95字)

 

問2

■設問

傍線部2はどういうことを言っているのか。わかりやすく説明せよ。

■答案構成

議論の整理 → 「前者」とは何を表すか:ロダンの「考える人」

論証 → 「前者」は人間の苦悩のみを表し、それがどこに到るのかは示していない。

結論 → 上記論証の内容

■答案

議論の整理 → 「前者」とは何を表すか:ロダンの「考える人」

ここで、「前者」とはロダンの「考える人」であり、「後者」は中尊寺や広隆寺の弥勒菩薩像である。

論証 → 「前者」は人間の苦悩のみを表し、それがどこに到るのかは示していない。

「後者」は究極の到達点を表しているのに対して、「前者」が表しているのは人間の苦悩のみであって、それが結局、どこに到るのかは示していない。

結論 → 上記論証の内容

「前者はついに人間の帰趣を示さぬ」とは、以上のようなことを言っているのである。

 

ここで、「前者」とはロダンの「考える人」であり、「後者」は中尊寺や広隆寺の弥勒菩薩像である。

「後者」は究極の到達点を表しているのに対して、「前者」が表しているのは人間の苦悩のみであって、それが結局、どこに到るのかは示していない。

「前者はついに人間の帰趣を示さぬ」とは、以上のようなことを言っているのである。

(153字)

 

問3

■設問

傍線部3について、筆者が「西洋の眼」が志向したものを「偶数」と比喩し、「日本の眼」が追ったものを「奇数」と比喩したのは、なぜか。この「偶数」と「奇数」に込められている筆者の考えを、わかりやすく説明せよ。

■答案構成

議論の整理 → 「西洋の眼」が指向するのは、割り切れる「完全の美」、「日本の眼」が追ったのは、「不完全の美」

結論 → 「日本の眼」が追ったのは「不完全の美」なので、割り切れない

■答案

議論の整理 → 「西洋の眼」が指向するのは、割り切れる「完全の美」、「日本の眼」が追ったのは、「不完全の美」

「ギリシャの眼」を源とする「西洋の眼」が指向するのは、「完全の美」であった。この「完全の美」は、正確に割り切れる合理的な美である。

一方、「日本の眼」が追ったのは、「不完全の美」である。この不完全の美は、「西洋の眼」が指向したような、正確に割り切れる合理的な美ではない。

結論 → 「日本の眼」が追ったのは「不完全の美」なので、割り切れない

したがって、「日本の眼」が追ったのは、割り切れない「奇数」なのである。(168字)

 

「ギリシャの眼」を源とする「西洋の眼」が指向するのは、「完全の美」であった。この「完全の美」は、正確に割り切れる合理的な美である。

一方、「日本の眼」が追ったのは、「不完全の美」である。この不完全の美は、「西洋の眼」が指向したような、正確に割り切れる合理的な美ではない。

したがって、「日本の眼」が追ったのは、割り切れない「奇数」なのである。(168字)

 

小論文

■設問

日本と西洋の違いについて、問題1の文章も参考にしながら、あなたの体験を踏まえて、600字から800字で論じなさい。

■答案構成

議論の整理 → 問題文1を読んで印象的だったこと:西洋の「偶数」と日本の「奇数」

問題発見 → 西洋のシンメトリーと日本のアシンメトリー

論証 → 自分の体験:日本の生け花とカナダ人の反応

結論 → 不完全な美に魅力を感じる日本人

■答案

議論の整理 → 問題文1を読んで印象的だったこと:西洋の「偶数」と日本の「奇数」

問題1の文章を読んで、「西洋の眼」が指向したものは「偶数」であり、「日本の眼」が追ったのは「奇数」である、という箇所が特に印象的だった。

問題発見 → 西洋のシンメトリーと日本のアシンメトリー

私がそのことと関連して思い浮かべたのは、西洋の庭園や建築物、その室内やインテリアなどがシンメトリーなのに対して、日本のそれらはアシンメトリーであるということだ。シンメトリーは「完全な美」、つまり偶数で、アシンメトリーは「不完全な美」、奇数であると思う。

日本のアシンメトリー指向は徹底していて、盆栽や生け花、着物の柄にいたるまで貫かれている。

論証 → 自分の体験:日本の生け花とカナダ人の反応

カナダに住んでいた頃、母は知り合いのカナダ人に生け花を教えていた。西洋のフラワーアレンジメントは、丸く均等に花を活けていくのに対して、日本の生け花は左右非対称である。生け花を習っていたカナダ人はまずそのことに驚いているようだった。中にはどうしてシンメトリーではないのかと質問した人もいた。そのときの母の答えは、「不完全なものの方が美しいから」という、感覚的なものだった。

結論 → 不完全な美に魅力を感じる日本人

今考えてみると、確かにそうかもしれない。完全な美は完成されているからこそ、完結していて、その先がない。だが、不完全な美には、変化が生じる余地がある。変化は動きだから、不完全さはその予兆を孕んでいるということもできる。そうした微妙な感覚に日本人は惹かれるのだと思う。

日本と西洋との違いについて、問題1の文章を参考にして考えたのは、以上のようなことである。(

 

問題1の文章を読んで、「西洋の眼」が指向したものは「偶数」であり、「日本の眼」が追ったのは「奇数」である、という箇所が特に印象的だった。

私がそのことと関連して思い浮かべたのは、西洋の庭園や建築物、その室内やインテリアなどがシンメトリーなのに対して、日本のそれらはアシンメトリーであるということだ。シンメトリーは「完全な美」、つまり偶数で、アシンメトリーは「不完全な美」、奇数であると思う。

日本のアシンメトリー指向は徹底していて、盆栽や生け花、着物の柄にいたるまで貫かれている。

カナダに住んでいた頃、母は知り合いのカナダ人に生け花を教えていた。西洋のフラワーアレンジメントは、丸く均等に花を活けていくのに対して、日本の生け花は左右非対称である。生け花を習っていたカナダ人はまずそのことに驚いているようだった。中にはどうしてシンメトリーではないのかと質問した人もいた。そのときの母の答えは、「不完全なものの方が美しいから」という、感覚的なものだった。

今考えてみると、確かにそうかもしれない。完全な美は完成されているからこそ、完結していて、その先がない。だが、不完全な美には、変化が生じる余地がある。変化は動きだから、不完全さはその予兆を孕んでいるということもできる。そうした微妙な感覚に日本人は惹かれるのだと思う。

日本と西洋との違いについて、問題1の文章を参考にして考えたのは、以上のようなことである。(601字)

 

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