慶應義塾大学 法学部法律学科 FIT入試 志望理由書 提出例(駒村 圭吾研究会向け)

■議論の整理論

1996年に下された合衆国最高裁判決において、法廷意見は、文化闘争を発作的悪意と誤解している。本件で問題となっている州憲法修正は、同性愛者に対する「剥き出しの害意」などではない。それは、同性愛者という「政治的に有力な少数派」から伝統的な性道徳を守ろうとする寛容なコロラド州民の穏当な試みにすぎない。この事件は、同性愛者に対する構造的差別を解消する目的でデンヴァーなどの都市部で制定された優先処遇条例に危機感をいだいたコロラド州民が、性的指向性に基づくあらゆる優先処遇政策を禁ずるために行なった州憲法修正の(合衆国憲法に照らしての)合憲性が問題となった。

法廷意見は、自由の普遍定式 に誘導されながら、その定式を具体的事例に沿って物語化した場合に、その構成要素となる抽象概念の多様な解釈を通じて原理的解決を指向するものである。こ文化闘争における整序された議論にコミットするこの自由の普遍定式と、スカリア裁判官が標榜する形式的多数決では、前者のほうが道徳的争点をめぐる討議としてより豊穣な内容を提供できる。自由の普遍定式の下での多様な解釈の展開にとって、善の解釈的開放性の要求を中心とする寛容の論法が提供し得る役割は大きい。  第三に、ケネディ法廷意見は、自由に対するスティグマの脅威を問題にした。このように、最高裁は、文化闘争における敵意や嫌悪、偏見やスティグマを法の射 程外に完全に放逐していない。むしろ、有効性を否定している (*1)。

 

■問題発見

ここで「文化闘争」を代表として構成要素となる抽象概念の多様な解釈を通じて原理的解決における課題について改めて考えてみたい。

 

■論証

「文化闘争」の名の下に繰り広げられる道徳秩序への挑戦には終りがない。画期的な判決の登場は、そのような闘争の分水嶺にはなるが、それを集結させるものではない。権利自由の司法的保障は、立憲主義におけ る重要な仕組みではあるが、同時に、民主主義的な政治空間における「文化闘争」を規律する憲法原理を考案することも不可避であるように思われる。そして、「文化闘争」が単に性的マイノリティーと旧来の性道徳の間の性文化をめぐる局地戦ではないことも 明らかである。それは、個々人の価値世界が依存している共同幻想をめぐる闘いである。そのような共同幻想 は、無数に想定できるが故に、あらゆる道徳課題について「文化闘争」は勃発しうる。さらに、そして最も、重要なのは、「文化闘争」は、政治哲学の闘争でもある点である。

このような経緯の中で、同性婚をめぐる文化闘争はどのように展開すべきなのか。婚姻制度は、自律した人問の私生活・社会生活を支える基本善と理解することが可能である。その基本善の中に同性愛者の親密な結合が含まれるかどうかを基本善の解釈として提示しなければなら ない。そのような意味で、哲学的には、善の解釈的開放性を論争参加者全員に要請し、寛容の論法に照らした議 論が求められるし、制度論的には、「挑戦モデル」としての討議民主政が展開されなければならない。最高裁が 示した「自由の普遍定式」を原理的な導きの糸として、基本善たる婚姻制度を再解釈した結果、同性愛的親密さがこの基本善の一解釈バージョンとして公共化可能なのか、異性婚のみ を対象とする現行の婚姻制度は実は「ある特殊な善き生き方」だけを特権化しているのではないか、それらの逆が言えるのか引き続き検討すべきである(*1)。

 

■結論

そこで「文化闘争」における善の解釈的開放性を検討する中で多様化する価値観の中での法定意見の役割について研究したいと考えている。

 

■結論の吟味

上述の研究を遂行するため,貴学法学部法律学科に入学し,憲法や言論法を専門に研究している駒村圭吾教授の研究会に入会することを強く希望する。

 

※1駒村圭吾(2005)「道徳立法と文化闘争 : アメリカ最高裁におけるソドミー処罰法関連判例を素材に」法學研究 : 法律・政治・社会 (Journal of law, politics, and sociology). Vol.78, No.5 (2005. 5) ,p.83- 143

 

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