慶應義塾大学 FIT入試第2次選考 法学部法律学科 2007年グループ討論 解答例

2007年度FIT入試第二次試験概要(法律学科)

3.グループ討論の概要 •テーマ:携帯電話の功罪

  • 司会者の有無:教員が司会役を務めるが、進行とタイムキーピングのみを行い、受験生の自由な議論にまかせる。
  • 討論時間:60分

4.発表と質疑応答の概要 •発表と質疑応答時間の配分:各15分程度、合計30分

*自分がこれまで行ってきた活動や入学後の目標と構想を自由に表現する。

※グループ討論と発表と質疑応答の順番:午後のグループ討論と発表と質疑応答は人によって順番が異なる。

 

■想定される議論

それでは、「携帯電話の功罪」について議論を深めていきましょう。

「携帯電話の功罪」を考える際には、2段階で議論をしましょう。

まず、一つ目は、携帯電話が登場したことによって何ができるようになったのか、ということです。そして、次に検討することは、「功罪とは何か」ということです。そして、そのあとにより一般化した形での「携帯電話の功罪」について考えましょう。

《携帯電話の持つ機能とは?》

まず、携帯電話が登場したことによって、どんなことができるようになったでしょうか?新しい技術が登場したときにどのように利便性が向上したのかを考えてみましょう。

携帯電話が登場したことで、それまで主流だった「ポケベル」と呼ばれる装置が一斉に携帯電話に切り替わりました。理由は簡単で、電話の前にいない外出中にメールもできれば電話もできる優れものだったからです。当然、携帯がスマホに進化してからは、性能的にパソコンに準ずる高機能端末になりました。携帯電話により、外出中にもメール・電話での連絡が容易にとれるようになったことが携帯電話の爆発的普及の理由であって、だれもが納得する「携帯電話の功」の部分です。

《功罪とは?》

さて、「携帯電話の罪」を考える前に、議論をしておかなければならないことがあります。それは、「功罪」とは何かという点です。より簡単に言えば、長所と短所ということです。ただ、長所と短所を考える上では、「誰からみたうえでの功罪か」が最も大切な点です。なぜなら、利用者が違えば当然違う長所と短所が出てくるからです。例えば、先ほどの「外出中にメールも電話もできるようになった」ということであれば、外出中にメールも電話もできることによって不利益を受ける人にとっては、携帯電話が便利な機械ではなく、悪魔のような機械に見えるはずです。具体的には、出版社の編集担当に原稿提出を迫られている小説家を思い浮かべればわかるでしょう。原稿が提出できない小説家というものは、編集者から連絡を受けないようにひたすら逃げることがよくあるため、いつでも連絡が取れる携帯電話は悪魔の機械のように感じるはずです。

以上のことより、携帯電話の新技術によって、できるようになったことが増えた一方で、そのできるようになったことを長所とみるか短所とみるかは、利用する人間が判断するものであることが理解できました。つまり、「功罪とは、人間が判定する価値基準のことであって、そもそも断定的に判断することのできない基準である」ということがいえます。従って、「携帯電話の功罪」を議論する場合は、「功罪を判定する主体が何であるのか」を明示することが最も大切なことです。

《携帯電話の功罪とは?》

以上のことから、携帯電話を利用する一般人にとっての「携帯電話の功罪」について考えましょう。

携帯電話を利用する一般人にとっては、「携帯電話の機能」を紹介した通りの長所が認められるだろうと考えられます。しかし、「功」の部分をひっくり返せば、そのまま「携帯電話の罪」が生まれてきます。つまり、いつでもどこでも利用できる高機能端末ということは、時間つぶしがその端末を利用すれば、いくらでもできるようになったと考えることもできます。そのため、「携帯電話の罪」は、「有用な使い方をしない限り、時間を無限に浪費させてしまうもの」ということも可能です。現に、学生が自分のスマホをいつでもいじっており、それによって学力等が向上しないことの実例を目撃すれば、節度のないスマホ(携帯電話)の利用方法は、害悪しか生まない可能性があることが容易に理解できます。

このように、利用者の使い方によっては、便利なものも害悪をまき散らすものに転用されうるのは、どの分野のものでも変わりません。例えば、核エネルギー一つとっても、善用すれば「エネルギーを取り出すための夢の技術」となり、悪用すれば「核ミサイルによって人命を奪う武器」になります。これと同じで、利用者がどのように新技術を利用するのかということのほうが「功罪」を考える上ではきわめて重要なポイントになるものと考えます。

まとめ

以上のことから、「携帯電話の功罪」を議論する上で重要なのは、「功罪を判定する主体」が何であるかを想定して議論をしなければ、そもそも議論にならないこと。そして、携帯電話を利用する一般人を想定すると、「功」の部分で認められた携帯電話に一般的に認められる利便性の向上が、利用者の使い方によっては、そのまま「罪」になること。つまり、利用者の使い方によって「功罪」が確定すること。そのため、より一般的に考えると、携帯電話に限らず、どのようなものであれ、「どのように利用するのがより多くの人のためになるのか」を考えることのほうが、「功罪」を議論することよりも大切だということが言えるものと考えます。

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