議論の整理
この文章では、聴いていないふりをしたり別の話をしたりと、あえて正面から話をしないことで相手の本当の心が見えてくることを、『小さきものへ』に登場する親子のちぐはぐな会話から明らかにしている。正面から向き合うと、相手もかしこまってしまい、本心が見えなくなる。そこで筆者は、あえて聴かないふりをすることで、相手は自然に会話できるようになる。また、あえて突き放す、言い返す、冷たくあしらうことも同様だ。正面から向き合わない姿勢をとることで、本当の心が把握できると考えている。
問題発見
コメディアンのたこ八郎は、自分のお墓に「めいわくかけてありがとう」という言葉を記している。本来は「ごめんなさい」と書くべきところ、どうして逆の意味である「ありがとう」を選んだのだろうか。
論証
たこ八郎は生前、多くの人に迷惑をかけた過去がある。そのため「めいわくかけてごめんなさい」が正しい内容であると多くの人は考える。もしも「めいわくかけてごめんなさい」とお墓に書いた場合、それを見た人はたこ八郎が謝罪の気持ちを知ることができる。おそらく多くの人は「そんなことないよ」と心のなかで返すだろう。そうなると、お墓を通じたコミュニケーションは、謝罪とそれに対する返答で終わってしまう。
たこ八郎は、「めいわくかけてありがとう」とあえて書くことで、「めいわくかけて」と「ありがとう」のあいだにいろいろな解釈ができるようにした。たとえば、迷惑かけたけど許してくれてありがとう、迷惑かけたのに助けてくれてありがとう、迷惑かけたけど一緒にいてくれてありがとうなど、それぞれの思い出を投影できる。
結論
患者さんは、言葉にできないような不安や想いをたくさん抱えている。そのため正面から向き合うと、言語化されない部分を把握できない。患者さんの真意を探るためには、本人が自由に想いを投影できる「余白」をつくることが大切である。
吟味
私は、患者さんによって、「余白」の作り方が異なってくると思う。そのため患者さんの性格や雰囲気を見ながら、自然な会話を引き出すことを心がけたい。(864文字)
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