慶應義塾大学 文学部 小論文 2008年 解説

・ 問題文

設問1 リルケの言葉「詩は感情ではなくてー経験である」(傍線部①)とはどのようなことか、一八〇字以上二〇〇 字以内で説明しなさい。
設問2 シャーンの言う「内面的な災害」(傍線部②)、リルケの言う「静けさ」(傍線部③)、そして筆者の言う「実のつまった虚」(傍線部④)、これら三つが表現活動において果たす役割について四八〇字以上五二〇字以内で論じなさい。

□ 問題の読み方

設問I
こうした問題の場合は、
「詩は感情ではなくーー経験である」という言葉を
1. ほぼそのまま抽象的に解釈する
2. 抽象的ではありながらも分かりやすく解釈する
3. 具体的な例をつかって解釈する
という三つのプロセスが必要である。
この三つのプロセスを使うことで、段落の中の構成が
1.結論
2.根拠
3.具体例
というふうになる。
前々から述べているように、段落の構成というのはすべてこのように書くべきである。
人間の思考回路というのは、
1.具体例
2.根拠
3.結論
というふうな流れなので、文章でもこのように書く人が多いが決して好ましい文章の書き方ではない。その理由は三つある。
1.具体例というのは、あくまでも個々人によって異なるもので、だれもが共有できるものではない。
であるからにして、他人の具体例から書かれた文章というのは読みにくい。他人の具体例には共感しにくいからだ。多くの場合、大多数から共感を得るのは抽象的な議論だ。構造改革について、総論賛成・各論反対という反対という言葉があるがまさしくこれで、具体的な議論に落としこむ段階で反発を喰らうことは多い。だからこそ、具体例を先に書いてはいけない。
2.具体例が先に書いてある文章は、そもそもつまらない。
具体例、根拠、結論という流れは、そもそも何の意外性もないし、読んでいる中での謎解きもない。具体例から何かしらの教訓を学び結論へ結びつけるというのは誰しもがすることで、だからこそつまらない。読んでいる上でも、謎が出てきて解消されるという間隔がないのでつまらない。つまらない人の話というのは、ほとんどの場合具体例から始まるものだ。
3. 要約的な問題では、具体例は邪魔になることが多い。
文学部の問題全般に言える事だが、字数指定が極めて厳しい。この場合、具体例は字数指定をオーバーすることが多い。そのため具体例は詳細に渡ってまで書かないことが多い。

設問II まず、
・ シャーンの言う「内面的な災害」
・ リルケの言う「静けさ」
・ 筆者の言う「実のつまった虚」
それぞれの意味を明確化する。
そのうえで、これら三つが表現差活動に置いて果たす役割を、それぞれが関連する形で整理し、論じる。

□ 課題文の読み方(一段落一行要約)

・ 人家が焼け落ちるのを見た事がある。
・ 火事を見てる大人たちのてらてらした顔の輝きに、小学生時代の筆者は忌々しさを感じた。
・ 火事を見ているときのぽかんと魂が抜けたような表情はどこから湧いて来るのか?
・ 人為を滅ぼす炎を前にすると、ひとは現象の恐怖とも違うなにかを感じ取るのかもしれない。
・ 古い火事の記憶を持ち出したのは、美術館でリトグラフを堪能したからだ。
・ そのリトグラフに書かれているのは、風景でも中小でもなく画家の捉えた人間の姿。
・ 詩は一般に信じられているように感情ではない、とマルテ
・ 感情はどんなに若くても持つ事ができるよう。
・ しかし、詩は感情ではなくてーー経験である。
・ 一行の詩をつくるのには、さまざまな町を、人を、物を見ていなくては成らない。
・ 思い出が僕たちの間で血となり、眼差となり、表情となり、名前を失い、僕たちと区別がなくなったときに、恵まれたまれな瞬間に、一行の詩の最小数の言葉が思い出の中に現れ浮かび上がる。
・ これから書かれる手記がマルテ自身にとって「詩」に到達するための厳しい準備期間であることを示し、さらにそれが永遠に到達できない領域にあることをも同時に暗示する恐ろしい一節。
・ シャーンは、黒人家庭が犠牲となった火事の取材に際して、絵を描く事を放棄した。それはこの火事が悲惨さや人種差別より、火に対する人間の普遍的な恐怖を表していると思われたのだ。
・ シャーンが書きたかったのは、シカゴの火事ではなく、この火事は彼の関心を呼び起こさなかった。
・ シャーンは、災害を取り巻く感情的な調子を創造したかった。別の言葉でいえば、内面的な災害を描きたかった。
・ 「内面的な再現」こそが、思い出が血肉化し、「一行の詩の最初の言葉」が惨然と表れるための分岐点となる貴重な炎。
・ 夜の物音よりもっと恐ろしいのは、静けさ。
・ 実の詰まった虚とは、そこにいるだれもがそこで起きている出来事に注目しているにも関わらずとても静かな様子のこと。

□ 解答の指針

設問I
課題文を読んでも、問題文を読んでも、よく意味が分からないので、ここでこの問題に対してどのように答えればいいのかという根本に戻ろう。
1. ほぼそのまま抽象的に解釈する
→ 詩を書くためには、感情ではなくて、経験が必要だという考え方
2. 抽象的ではありながらも分かりやすく解釈する
→ 思い出が僕たちの間で血となり、眼差となり、表情となり、名前を失い、僕たちと区別がなくなったときに、恵まれたまれな瞬間に、一行の詩の最初の言葉が思い出の中に現れ浮かび上がるということ。
3. 具体的な例をつかって解釈する
→ 火事のときなどに、そこにいるだれもがそこで起きている出来事に注目しているにも関わらずとても静かな様子のこと。そういう衝撃的な経験を知る事によって、詩の一番最初の一行が出て来る。

設問II
「内面的な災害」……思い出が血肉化し、「一行の詩の最初の言葉」が燦然と表れるための分岐点となる貴重な炎
「静けさ」……ひっそりとして緊張の極みに達する瞬間。
「実のつまった虚」……火事のときなどに、そこにいるだれもがそこで起きている出来事に注目しているにも関わらずとても静かな様子
と、それぞれの意味を明確にしたうえで、
・ シャーンの言う「内面的な災害」
・ リルケの言う「静けさ」
・ 筆者の言う「実のつまった虚」
がどのような関係をもっているか、まずこの言葉を使って書いてみる。
まず、この「」内の言葉を使い、一般に通じるかどうかは無視して、これら三つの言葉の関係性を整理すると、「実のつまった虚」ともいえるような「静けさ」を経験することで「内面的な災害」が起こることによって表現活動が進む、というふうな書き方ができる。
これをもうちょっと、それぞれの言葉の意味か分かる形で書くと、
火事のときなどに、そこにいるだれもがそこで起きている出来事に注目しているにも関わらずとても静かだというような「実のつまった虚」に遭遇し、ひっそりとして緊張の極みに達するような「静けさ」を経験することで、思い出が血肉化し、「一行の詩の最初の言葉」が燦然と表れるための分岐点となるような「内面的な災害」が起こり、表現活動が促進される。
というふうな書き方ができる。
この問題は、まずそれぞれ三つの言葉の意味を整理した上で、それぞれの言葉の意味か分かる形でそれぞれのそれぞれに対する関係性を明確にする形で書き直し、字数が足りなければ具体例をより詳しくしたりすれば良い。ここまでがこの「論じる」問題での、要約部分・前提確認部分である。
しかし、論じる問題なのだから、
1. 前提の確認
2. 問題の設定
3. 原因の分析
4. 解決策or結論の提案
5. 解決策or結論の吟味
が必要である。
1.前提の確認については、もうしているので問題ないが、
2. 問題の設定
3. 原因の分析
4. 解決策or結論の提案
5. 解決策or結論の吟味
あたりがこの問題の場合はむずかしい。
2. 問題の設定
……「内面的な災害」「静けさ」「実のつまった虚」が表現活動に果たす役割とはなにか?
3. 原因の分析
……なぜ「内面的な災害」「静けさ」「実のつまった虚」というような経験が必要なのか?
→ これら三つがある表現活動とはなにか?を考える事はむずかしいし、すでに作者が主張しているので、これら三つがない表現活動が極めて虚しいものであることを証明することで、これら三つが表現活動に果たす役割について考える。
……「内面的な災害」「静けさ」「実のつまった虚」がない表現活動とはなにか?
→「内面的な災害」「静けさ」「実のつまった虚」を逆にすると、「内面的な平穏」「騒がしさ」「実が詰まっていない虚」つまり、これらは単なる感情表現であり、騒がしさであり、無内容な思いである。これらは経験が無くても、誰でも思い浮かべることができるものである。
……どうして、「感情」ではなく「経験」によって表現活動をする必要があるのか?
→「感情」を表現する活動は、人間ならば誰しもができるが、「経験」を表現する活動は、その経験をした人にしかできない。表現活動として希少価値があり、それゆえに表現活動として価値がある。希少性がなく、ニーズない感情表現活動は無意味であるということでもある。
4. 解決策or結論の提案
……表現活動の希少性や価値を高めるためにも、「内面的な災害」「静けさ」「実のつまった虚」といったような経験からしか得られない表現をすることが大切である。
5. 解決策or結論の吟味
……表現活動の希少性や価値について考える時に、たとえそれが感情表現活動であったとしても、たとえば有名人の感情表現活動には希少性もあれば価値もあるかもしれないが、一般的な人間が表現活動をする上では、その希少性や価値を左右するのはその経験そのものの匿名的な希少性や価値であるからこの立論は正しい。

□ 模範解答

設問I

「詩は感情ではなくーー経験である」というのは、詩を書くためには、経験が必要だという考え方である。つまり、思い出が積み重なったときに、一行の詩の最初の言葉が浮かんで来るということである。たとえば、火事のときなどに、そこにいるだれもがそこで起きている出来事に注目しているにも関わらずとても静かになることがある。そういう衝撃的な経験を知る事によって、詩の一番最初の一行が出て来るという考え方である。(199文字)

設問II

火事のときなどに、そこにいるだれもがそこで起きている出来事に注目しているにも関わらずとても静かだというような「実のつまった虚」に遭遇し、ひっそりとして緊張の極みに達するような「静けさ」を経験することで、思い出が血肉化し、「一行の詩の最初の言葉」が燦然と表れるための分岐点となるような「内面的な災害」が起こり、表現活動が促進されるというのが筆者の主張である。
この考え方には首肯できる。「内面的な災害」「静けさ」「実のつまった虚」を逆にすると、「内面的な平穏」「騒がしさ」「実が詰まっていない虚」つまり、これらは単なる感情表現であり、騒がしさであり、無内容な思いである。これらは経験が無くても、誰でも思い浮かべることができるものである。「感情」を表現する活動は、人間ならば誰しもができるが、「経験」を表現する活動は、その経験をした人にしかできない。表現活動として希少価値があり、それゆえに表現活動として価値がある。
たとえば有名人の感情表現活動には希少性もあれば価値もあるかもしれないが、一般的な人間が表現活動をする上では、その希少性や価値を左右するのはその経験そのものの匿名的な希少性や価値であるからこの立論は正しい。(510文字)

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