- 議論の整理・・・
カントはその書物の中で、人間が認識をする際に、それらが人間の主観に影響されることを指摘したが、まさに、カント哲学そのものが人間の主観によって、様々な解釈があり、今現在において、カントの意図しようとしたものがどの様なものであるかに関して論争がある。
- 問題発見・・・
では、カント哲学どのように分析することができるだろうか。
- 論証・・・
私はこれらの問題を解決するためには、カント哲学に対する理解を前提とし、それらが矛盾なく解釈される為には、どの様な立場に立ってそれを解釈するべきなのかを考察することが重要であると考える。
たとえば、哲学の専門家である千葉清史教授は実在論的解釈のうちで検討に値する解釈オプションは、形而上学的二側面解釈で尽くされる。それ以外を自称するものは、内的不整合を犯すか、あからさまに魅力がないものになり下がるか、あるいは結局のところ形而上学的二側面解釈に帰着する。というテーゼに対し、形而上学的二側面解釈の代案を自称する実在論的解釈のヴァージョンは、形而上学的二側面解釈が物の「自体的側面」と呼ぶものを否定することによって自らの実在論的主張との内的不整合を犯すか、形而上学的二側面解釈が言うところの「現象的側面」と「自体的側面」の他にさらに別の側面なり世界なり(あるいはそれ以外なものなり)を付加することを強いられることによりあからさまに魅力のない立場になり下がるか、あるいは結局のところ、形而上学的二側面解釈と本質的には相違のないような立場に落ち着かざるを得ない。と述べている。[1]
- 結論・・・
そこで、カント哲学について、カントの世界を専門的に研究するため、哲学について専門的知識に富む貴学社会科学部の千葉清史教授の下で、上述の問題点を整理するべくカント哲学の解釈論について研究を深めたいと考えている。
貴学社会科学部の千葉清史研究会が上述の研究を進めるのに最適な研究環境との確信のもと、貴学社会科学部に入学し千葉清史研究会に入会することを強く希望する。
[1]千葉清史著『二世界解釈と二側面解釈 : そもそも何が問題だったのか?』(2014-12-25)
コメントを残す