- 議論の整理・・・
日本国民の知る権利に関してその権利の保護の役割を担っているメディアは新聞などを含むマスコミでさえ虚偽の情報を報道していると非難されることがしばしば見受けられる。それらの事象が何故起こりうるかを考察するに当たって、国民は情報の真偽を見極めるために必要な情報リテラシーを養うことが肝要である。それと同時にマスコミの特質を調査することが必要である。それはつまり、メディアにとって情報の真偽はもちろんのこと、それらの記事が読まれることによってその価値が見いだされるのである。
- 問題発見・・・
では、メディアについて情報リテラシーからどのように分析することができるだろうか。
- 論証・・・
私はこれらの問題を解決するためには、日本のメディアの持つ特質に対する理解を前提とし、それらを発行する機関が何を模索しそれらをメディアとして世に送り出しているのかについて調査することが重要であると考える。
たとえば、近代日本の新聞雑誌およびエフェメラ・メディアの歴史歴研究の専門家である土屋礼子教授は
プロパガンダ機関としての大衆新聞と名付けられ、大衆新聞小新聞の読み分けを読者が行っていなかったという論を否定し、プロパガンダを提供する新聞に読者が満足しなかったため、物語としての新聞が提供されたことを指摘している。[1]
- 結論・・・
そこで、メディアにおける情報リテラシーについて、メディアの持つ特質を専門的に研究するため、メディア史、近代日本の新聞雑誌およびエフェメラ・メディアの歴史歴研究について専門的知識に富む貴学政治経済学部の土屋礼子教授の下で、上述の問題点を整理するべく近現代日本のメディア史について研究を深めたいと考えている。
貴学政治経済学部の土屋礼子研究会が上述の研究を進めるのに最適な研究環境との確信のもと、貴学政治経済学部に入学し土屋礼子研究会に入会することを強く希望する。
[1] 土屋礼子著『山田俊治著『大衆新聞がつくる明治の <日本> 』』(早稲田大学国文学会2003-10-15)
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