早稲田大学 教育学部 外国学生入試・帰国生入試 志望理由書 提出例(堀越宏一ゼミ向け)

 

■議論の整理

 

14世期のヨーロッパで多数の死者を出したペストは、皮膚に黒い斑点ができることから「黒死病」と呼ばれて恐れられた。1320年頃から中国大陸で大流行していたペストは、モンゴル帝国を介してシチリア島に上陸したと言われている。その後も大流行を繰り返して、当時のヨーロッパ人口の3分の1以上の死者が出たと推定されている。感染経路はネズミについたノミであったと長年されてきたが、昨今では人に寄生するノミだったとする説もある。そのように、今でもペストについては分かっていないことが多い。

 

■問題発見

 

多くの人が亡くなったペストを経て、ヨーロッパの人々の価値観は大きく変容されたと考えられる。

 

■論証

 

14世紀以降に教会や墓地に多く描かれた「死の舞踏」の壁画は、人とミイラや骸骨などの死者が2人1組になって踊り狂っているものである。ハンス・ホルバインの木版画も幾度となく版を重ねられているなど、ヨーロッパ全土に広がった人気の高いモチーフだと言える。この「死の舞踏」の背景にはペストの恐怖があるとする説が一般的だ。他にも、「死の舞踏」と共通する“Memento mori”、「死を忘れるなかれ」という警句が数多くの芸術作品のモチーフとされた。フランスではその後も交響詩『死の舞踏』を1872年にサン・サースンが発表し、 1900年代になって以降も、アルベール・カミュが『ペスト』で不条理の代表格としてペストを扱った。

 

■結論

 

ペストの流行はヨーロッパの美術・芸術に対して多くの影響を与えた。中世ヨーロッパを襲った最大級の出来事であったペストの流行を通して、ヨーロッパの人々の価値観がどのように変わったのかを学んでいきたい。特に、最初期とされる死の舞踏絵画が存在し、後年になってもペストを扱ったものが多く作られてきたフランスに主軸を置いて研究を行っていきたい。

 

■結論の吟味

 

以上の理由から、貴学教育学部社会科地理歴史専修に入学し、堀越宏一教授の研究会に入会することを強く希望する。

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