■議論の整理
何度読んでも発見がある文学作品がある。私にとってはそれは夏目漱石の作品だ。夏目漱石の作品は、日本で教育を受けていれば高校生までに必ず出会うものではないだろうか。『坊ちゃん』や『こころ』は教科書にも載っており、現代文の授業で必ずといっていいほど扱っている。漱石作品の魅力は、如何様にも解釈できるような余地が残されているところだと思う。特に『夢十夜』は、登場する様々な言葉が何かのメタファーなのではないかと疑ってしまうような表現がなされている。『こころ』もそうだ。なぜKが自殺したのかは、最後まで読んでも明確に理由は書かれない。
■問題発見
しかし、学校の授業では常に正解が求められる。教師によっては、「一般的な解釈ではない」ことを理由に不正解にする。そのことが漱石の魅力的な作品を魅力のないつまらないものにしているのではないか。既存の小説を題材に扱った国語教育は、生徒の自由な解釈を阻害するものになってしまってはいないだろうか。
■論証
センター試験でも、小説を題材にした問題が50点分出題されている。センター試験のような選択式の問題の場合、最も妥当な解釈だと考えられるものを正しい答えとすれば良い。そのため小説には唯一の解釈があるとは考えにくいだろう。しかし、センター試験対策の参考書を見ると「この解き方で考えれば小説の正しい解釈ができる」とでも言うような記述がされている場合もある。この構造は教科書の解説書でも同じである。
■結論
このような読み方をすべきであると決めつけるのではなく、自由な解釈を尊重する国語教育は可能なのか。また、どのようにすればそのような教育方法を確立できるのか。学校の教科書に載っている作品はつまらない、などと生徒に思わせない国語教育を考えていきたい。
■結論の吟味
以上の理由から、早稲田大学教育学部国語国文科に入学し、テクスト論の第一人者である石原千秋教授のもとで学びたい。
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