■議論の整理
2015年ジャーナリズムのあり方を考えさせられる出来事があった。イスラム過激派の「ISIL」が日本人ジャーナリスト二名を拘束し、殺害した。その様子は、SNSで拡散され、映像が公開された。この出来事は、SNSというツールを用いた初めての公開処刑だった。
■問題発見
かねてよりイスラム過激派は現代的な情報戦略が上手なテロ組織として認知されているように思うが、一方でこの出来事によって流布された一つの言説に、危険を冒してまでジャーナリズムを遂行する必要があるのか、というものであり、さらにはそれによって国に迷惑をかけていることへの非難だった。
■論証
今までもジャーナリズムは戦争や様々な被害の報道を間近で報道することに対して危険を伴うことは当然であり、それを第一使命としている以上、ある種の殉職は覚悟しているとしたうえで、今回の報道が巻き起こした、ジャーナリズムに対するある種のシラケを呼び起こしている言説に警鐘をならしている記事がある。その記事によれば、政府や国民に迷惑をかけてまで取材に行く必要はない、というこれらの主張に対し、「権力を監視する役割を担うジャーナリズム」の復権を唱えている※1。
■結論
ジャーナリズムは一種の自殺行為のようなイメージが先行しているが、記事にある通り、実際の映像や実際の生の感覚を報道することの意味は計り知れない。9.11の同時多発テロの映像に対して、まるで映画を見ているようだった、ともらす感想が強くなってしまった現代において、戦争の報道は一種のスペクタクルでしかないのかもしれない。しかし、それでもそのスペクタクルに対抗するには、「本当の映像」が必要だ。その映像が、国家間戦略によってつくられた映像でないと保証されていること。それがジャーナリズムの映像だろう。
■結論の吟味
一方で、ジャーナリズムは、報道の公平性を担保しすぎるあまり、SNSを上手に活用しきれていないという側面も否定できない。SNSを活用しているのは、ヘイトスピーチを行うトップだったり、過激派のテロ組織だったりする。一方で公平性を保とうとするメディア戦略においてSNSがいかに有用か、どのように利用できるのかを考えながら、貴学での研究に専念してみたい。
※1野中章弘「ISILの取材・報道の在り方 現地へ行くべきか 決めるのは誰か?」WASEDA ONLINE
https://yab.yomiuri.co.jp/adv/wol/opinion/international_150223.html
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