早稲田大学 教育学部 外国学生入試 志望理由書 提出例(石濱裕美子ゼミ向け)

■議論の整理

1910年代に独立を果たしたモンゴルは、その後チベットとモンゴルを併合してチベット仏教世界を確立したが、その際、これらを成し遂げた歴史的経緯は、中国史だけでも、ロシア側の歴史だけでも、はたまたチベット・モンゴルだけの歴史でもうまく説明することができず、そこにはチベット・モンゴルの双方を渡り歩いたダライラマ13世と、彼の亡命を助けた各諸侯の存在が不可欠である。

 

■問題発見

チベット・モンゴル独立に関してはモンゴル国の研究者を中心に多くの考察がなされており、それなりの蓄積があるが、チベットモンゴルを包括した仏教世界からの視点がないことが問題になっていた。そこで、ダライマラのエスコートをした諸侯がこれらの独立や条約締結に最終的には結実していく様をある研究では丹念に追って証拠立てている※1。

 

■論証

チベットやモンゴルは、遊牧民である民族としての性質や、中国と西欧をつなぐシルクルードの交易と言う性格上、流動的な性格が指摘されがちだった。その仏教も密教化していくさまが研究の俎上に上がり、一つの仏教世界としてまとまりをみせるのは非常に難しい地域として存在しているといえる。

 

■結論

しかしそのようなチベット・モンゴルもダライラマ13世の到来によって、内モンゴルなどからも巡礼者が殺到し、各地のモンゴル諸侯も謁見を求めて各地から集まるなど、その民族意識が高揚したこともある。これがチベットモンゴル独立のきっかけではあるが、その後ろには歴史の立役者である人々がおり、その内実をこの研究は救い上げようとしている。

 

■結論の吟味

ナショナルなものをもとに歴史を叙述するのは難しい。そこには必ず流入してくるものがあるし、それがナショナルな単位で語られることで一種の排除の構造を前提とした記述になってしまうからだ。一方で、このチベット・モンゴル研究は、フレキシブルな叙述を可能にしており、歴史叙述としても、内容としても非常に魅力的に私には感じられる。以上のような研究を私もしてみたいと考え、貴学への入学を希望する。

 

※1石濱裕美子「20世紀初頭、チベットとモンゴルを結んだ二人のモンゴル王公――カンドー新王とクルルク貝子――」『早稲田大学大学院教育学研究科紀要』29 2019

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