早稲田大学 教育学部 外国学生入試 志望理由書 提出例(米村健司ゼミ向け)

■議論の整理

多文化共生が叫ばれて久しい。多文化共生は文化相対主義的な態度とはやや趣が異なるニュアンスを含んでいる。文化相対主義は、それぞれの文化の独自性を認めているが、それぞれの違いを容認しただけの思想になりがちである。むこうはむこう、こっちはこっちという文化相対主義は、実は自民族中心主義的な態度に通じる部分が残存してしまっているのが現状ではないだろうか。

 

■問題発見

一方で多文化共生は、お互いの文化を認めたうえで一緒に生きて行こうとする思想だ。グローバリズムが叫ばれてから、長い年月が経ったが、私たちはいまだにネイションの中に所属しているとはいえ、以前よりは多文化の人々と容易に接触し、相互交流する機会が増えている。それは経済的ま面でも文化的な面でもそうであるだろう。だが一方で、そのために必要になるのがメディアリテラシーだ※1。

 

■論証

メディアリテラシ―とはメディアを読み解く能力だが、単なる識字とは異なる。文字が読めるようになれば新聞などのメディアを読むことができるが、それだけではなくて、適切にそのメディアを読むことができるかどうかという能力のことを指す。たとえば、新聞と言うメディアでは公平性がある程度保たれているが、テレビでは視聴者層にあったものいいが行われるだろう。雑誌であれば……、webであれば……、などそれぞれの媒体に合わせた読み取り能力をメディアリテラシ―と考える。

 

■結論

これが多文化共生とどうしてかかわるかと言うと、現代のメディアは時間や空間を飛躍的に飛び越え縮減する方向に働いている。ということは多文化共生と言ったときの多文化は昔よりも、つねに早く、いつも近くに感じることができてしまうのだ。よく知らないまま多文化を受容することはメリットもデメリットもある。その際に、デメリットを防ぐ防波堤になるのがメディアリテラシーの作法かもしれない。そのような議論がどんどんなされるべきだ。

 

■結論の吟味

対話や交渉が多文化共生の重要な要素だとしたら、メディアリテラシ―がないまま多文化と衝突することだけは避けたい。メディアを発信する側も、受信する側も十分なメディアリテラシ―を身に付け、このグローバリズムを乗り越えるだけの多文化共生の作法を提案したいと考え、貴学への入学を希望する。

 

※1米村健司・清家竜介「多文化教育とメディア・リテラシー」『学術研究・人文科学・社会科学編』61 早稲田大学教育・総合科学学術院教育会 2012

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