議論の整理・・・
演劇が他の作品と異なるのは、その場限りの身体表現であるということだ。文章や絵画、アニメーションでなら易々と表現できることが、生身の人間を使うと不可能になることは多々ある。映画やドラマとも異なり、映像を編集してやり直したり、特殊技術を使って非科学的な効果を合成することもできない。逆に実際に人間が目の前に存在するということだけで、雄弁に語られる説得力があるだろう。今、同じ時間を共有しているということが、鑑賞体験を濃密なものにする。自分らしい劇作品を創り出すにおいて、このような身体を利用した表現であることを最も大切にしたいと考えている。
問題発見・・・
現代は、監視・規制社会であると言われている。至るところに監視カメラが設置され、街中の人がスマートフォンを持ち歩いている。人々は違和感を感じたらすぐにカメラを向けて証拠を押さえ、SNSで拡散して批判する。個人個人の発言力が高まる一方で、些細な事柄も非難され、規制対象となってしまう。そのような社会に生きる中で私たちは常に他人の目を気にして、自分の一挙一同を客観視することが要求されている。自分が主体的に見る存在であると同時に、見られる存在であることも常に意識して生活しているのだ。多様性を受け入れられない現代社会において発揮される創造的な身体表現にはどのような可能性があるだろうか。
論証・・・
現代という時代の社会性を学んだ上で、そのようなコンテクストにおける身体の文化的な意味を学びたい。その上で過去の作品を研究することで、現代に合った演劇がどのようなものか見えてくるのではないだろうか。
結論・・・
上記について、劇作家である宮沢章夫教授のもとで研究を進めることを希望する。
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