議論の整理・・・
中国では古来より、永遠の命を持つ神仙の存在が信仰されてきた。つまり、人が修行によって不死への道を学ぶものとされていたのである。中国最初期の記録では仙人は世俗とは遠く隔てられた世界に存在することを想定した記載があるが、次第にその距離は埋められていき、12世紀の仙人らは、世俗の人々との交流があるとされている。例えば全真教の五祖の1人として祀られる呂洞賓は実在したかどうか不明とされているが非常に名の知れた仙人であり、誰もが彼に会いたがった。当時の随筆の中では、呂洞賓と遭遇していながらそれと気づかず、後になって気づいて悔やむ人のエピソードが数多く登場する。また、始皇帝や漢武帝らは自らの権威を正当化するため、神仙世界へのアプローチを試みていたという。
問題発見・・・
中国で民間に渡ってまで広く不死が信仰されたのにはどのような背景があったのだろうか。そのような死生観は、科学の発達して不死が現実的ではないと考えられている現代においても、中国の生活に根付いているのではないだろうか。また、死生観について考えることは、どのように生きていくことを理想としているかという生命観にもつながるだろう。
論証・・・
不死の神仙信仰を中心とした中国の生命観について、他国との比較の中で明らかにしていきたい。特に、中国と同じように仏教や儒教、道教を信仰する国との違いを比較するのが良いと考えている。
文献や論文上で研究する他に、中国からの留学生にインタビューをしたり、実際に中国に出向いてフィールドワークの機会を設けたい。
結論・・・
上記の研究について、中国文化に精通した森由利亜教授のもとで進めることを希望する。
森由利亜『開かれたエデンー中国神仙信仰を考えるための補助線』2011
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