議論の整理・・・
芸術の歴史において、批評家の役割は決して小さいものではない。批評を受けることで、芸術家は本人も気がついていない価値を付される。また、後の時代の研究において、批評家の言葉こそが芸術家の評価の根拠になる。そのため芸術家から批評の訂正を求めることもあったようだ。
批評の言葉が重視される一因として、批評家は有識者としての権威を持っていたことが挙げられる。本を読むことができる人は少なく、出版できる人はさらに少なかった。
問題発見・・・
しかし、現代においては誰でも豊富な知識をインターネットで得ることができる。書籍や論文も過去に比べて簡単に発表することができるようになり、有識者と一般人の差は縮まっていると考えられる。
このような現状において、芸術家の評価はどのように行われていくべきなのだろうか。
論証・・・
誰でも批評の場に参加できる場合、芸術家は大衆向けの商業的なマーケティングを重視する。例えば2019年に開催された塩田千春展は66万人の来場者数を記録した。これは森美術館の歴史の中では2番目の入場者数だ。日本でこれまであまり知られていなかった芸術家の個展に大勢の人が詰めかけたのは、SNSでの拡散がきっかけだった。大規模なインスタレーションが「インスタ映え」するため、お洒落な写真を撮ることを楽しむ層にも人気が広がった。
商業的にはこの企画展は成功したが、芸術家の作品価値は「インスタ映え」とは無関係のはずだ。
結論・・・
現在は論文に掲載された主張だけが学術的に価値があるとみなされているが、将来的に現在のような状況が続くとは限らない。
今後の批評のあり方について、現在のインターネット文化を考慮して考察していきたい。
以上の研究を、批評史に精通した北村陽子教授のもとで行うことを希望する。
「最後の印象派」としてのオートクローム・リュミエール、早稲田大学大学院文学研究科紀要 (51) 83-99 2006年
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