■議論の整理
時代小説はいつの時代も人気を博している。司馬遼太郎の時代小説はもとより、多くの時代小説家が直木賞ほか各賞から輩出され、時にはテレビという場所でメディアミックス化されて流通する。時代小説は、昔の時代を描きなおす小説であると同時に、今の時代を映し出す鏡だともいえるだろう。
■問題発見
時代小説は多くの場合、連続的なメディアの中で創作される。大きなメディアでいえば新聞小説が主流だし、NHKの朝の連続テレビ小説や、大河ドラマなどは長期間のクールの中で、随時撮影と創作が並行して行われる。このような特徴を持つ時代小説にはどのような創作技法があるだろうか。
■論証
藤沢周平の小説に『蝉しぐれ』という流行した小説がある。この小説は、新聞小説時代にはファンレターが一切来ず、作者本人も書くのが苦痛だったというほど、いわゆる人気作ではなかったが、刊行時に大幅な修正を加えたことで、成功した作品だといえる。武家社会に生きる主人公は、いつも滅私奉公を強いられ、封建的で理不尽な制度に対して、苦渋をなめるしかなかった。しかし、刊行時には主人公に主体性や能動性をあえて付け加えるようなテクストが挿入され、一種のヒーロードラマとして成功し、読者にカタルシスを与えることに成功している※1。
■結論
上記の改変がいかにして可能になったか。編集者とのやりとりで、作家の個人的判断で、という原因を推察するのはたやすいが、ここでは新聞小説というジャンルの特性を考慮に入れることが重要だろう。夏目漱石しかり、著名な国民作家となった多くの作家は、明治大正にかけて新聞小説というある種の双方向的なメディアの中で自分の小説を生成変化させてきたのだった。藤沢周平もファンレターが来なかったことに苦悩し、あらたなドラマツルギーを考案したのだと考えることは憶測にすぎるだろうか。
■結論の吟味
小説は、単独で存在しているわけではない。作者と読者、原テクストとメディアの交流などの様々な布置の中で変化を遂げていく。時代小説を近代初期からさかのぼり、メディアや読者との交渉の中で、どのような磁場が働いているか、メディアスタディーズと言説分析を交錯させながら横断的に研究してみたいと考え、貴学への入学を希望する。
※1高橋敏夫「二つの『蟬しぐれ』――本文の異同から創作意図を考える――」『国文学研究』177 早稲田大学国文学会 2015
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